| 研究者所属(当時) | 資格 | 氏名 | |
|---|---|---|---|
| (代表者) | 政治経済学術院 政治経済学部 | 講師 | 横尾 祐樹 |
- 研究成果概要
本研究の成果として、共和政擁護論のみが強調されがちなフィレンツェでも、君主政や教皇・皇帝と親和的なフィレンツェ像とが並立できていた点を提示した点が挙げられる。この点は、「フィレンツェ書記局経験者は、フィレンツェの政治的アイデンティティをどのように提示したか」という問題意識に基づいている。20世紀半ばに登場したハンス・バロン、そしてバロンを踏襲する形で自説を展開したポーコック、スキナーは、共和政ローマとの近似性を主張するフィレンツェ像だけをとくに強調する。だが、実態としては、君主政としてのフィレンツェ像や教皇党としてのフィレンツェ像も同時並行的に使用する。例えば、フィレンツェがフランスとの同盟関係を維持・拡張しようと試みた際には、フランス王政を擁護するために、「王政的自由」(libertate regia)を享受する政体としてフランスを持ち上げることもある。同様の文脈で、フィレンツェ自身もまた「シャルルマーニュが創設した都市」という君主政由来の自画像を提示することさえある。こうした点も踏まえると、スキナー等が提示したほどには、フィレンツェ書記官も君主政や教皇に敵対的であったり、それらを前時代的な要素だとみなしていたりしたわけでは必ずしもなく、むしろフィレンツェ書記官たちの政治的思考は、君主政や教皇の擁護論と両立していた点が浮き彫りになる。すなわち、フィレンツェはアピールしたい相手に応じて、自画像を使い分けているのであり、フィレンツェも王政であるフランスと同じく、君主政起源であるかのように自身を見せてゆく。共和政としての自画像も重要だが、それと並行的に、君主政起源のフィレンツェ像、教皇や皇帝に従属するフィレンツェ像を活用する機会も、同程度に多かったのが実情である。14世紀以降たびたび使用された教皇党というフィレンツェの自画像も、上述の使い分けの一要素だと整理され得る。