| 研究者所属(当時) | 資格 | 氏名 | |
|---|---|---|---|
| (代表者) | 理工学術院 創造理工学部 | 助手 | 尾高 真輝 |
- 研究成果概要
研究背景・目的
近世宿場町の研究は交通史を始めとして、様々な角度から研究が行われ、累積されているものの、宿場町間に存在する「間の宿」と呼ばれる場は「街道における休憩所」という交通史の一部分に止まっている。宿場町の発達に深く関わる、間の宿の各事例間の考察及び建築史的側面を見出すことは近世宿場町研究の一助になると考える。
研究方法
本研究では幕府(道中奉行)の関与が強い五街道における間の宿を対象に据えることによって、幕府との関係性が明瞭に観察できると考える。そして江戸時代の社会における間の宿の立ち位置を分析することによって、既往研究における交通史的一観点から脱却し、間の宿の多面的な実態を明らかにすることを目的とする。特に近世から近代へ移り変わる中で、立場・間の宿がどのような役割を果たしたかを捉えるために、五街道を用いて行われた、明治天皇の六大巡幸における御小休所の存在に焦点を当て、関係性の考察を試みる。
成果
明治13年の「地方官心得書」を参照すると、御小休所は行程の都合によって2里以内に1里までに1箇所を置くとともに、午前午後に1、2回ずつ定め、距離の都合がある場合には野立も認めるとある。そのことから、ある程度休憩が可能な村を選定していると推測され、その理由として、村の規模が大きいほど、明治天皇の巡幸の意義である、民衆に天皇像を示すことに繋がるためであると考えられる。
御小休所の位置と立場の分布を比較すると、東海道と中山道においては概ね一致する傾向がみられる。御小休所の由緒をみると、巡幸以前より存在するものは名主の家や旅人に対する商いにおいて重要な拠点であり、上段の間が設けられていた。これは茶屋本陣/小休本陣と同一であり、間の宿として繁栄した/認可された場は明治時代においても交通の重要な一帯として認識されていたと考えられる。
応募
産経新聞社主催、第39回先端技術大賞に研究成果を応募