表題番号:2025C-376
日付:2026/03/30
研究課題近代日本における名望家像の再検討―兵庫県美嚢郡玉置家を中心に
| 研究者所属(当時) | 資格 | 氏名 | |
|---|---|---|---|
| (代表者) | 教育・総合科学学術院 教育学部 | 教授 | 三村 昌司 |
- 研究成果概要
本研究は、近代日本における名望家像を、兵庫県美嚢郡玉置家を中心に再検討することをめざすものである。具体的には、①基礎的文献の集積と分析、課題の整理、②史料調査、③研究成果の発表を計画した。それぞれの成果は以下のとおりである。①については、とくに明治期の名望家研究に関する先行研究や関連書籍を集積して分析を進め、研究史の整理と課題の設定を行った。②については、2025年10月にみき歴史資料館において史料調査を行った。玉置家史料に加え他の美嚢郡内の名望家の家史料についても調査を行った。③について、『新・三木市史』近現代資料編における明治中期部分を執筆した。なお同書は当初2026年度末刊行予定で原稿は提出済みであるが、諸般の事情で刊行時期は2026年4月以降に延期されている。具体的な成果のひとつには、1896年(明治29)の常設委員に関する簿冊を内容分析し、前述の『新・三木市史』でその全文翻刻と史料解説を執筆した。三木町の常設委員会の職務は、勧業・衛生・土木・営造物、その他行政事務について一時期委託し処理すると規定に定められていた。つまり行政事務全般の委託が可能であった。また規定されていない職務として、戸籍に関する業務に関する書類が複数綴じられており、常置委員は戸籍関連事務にも関与していたようである。玉置福蔵はこの時期常設委員となっていることから、三木町の行政の諸方面に関する知識を得ていたと考えられる。玉置は1906年(明治39)に三木町長、1911年(明治44)に美嚢郡選出の県会議員となり、その名望を町レベルから郡レベルへ広げていくが、本史料はその名望の広域化を考えるために有為であると評価できた。