表題番号:2025C-349
日付:2026/04/03
研究課題平安前期造像組織成立の研究
| 研究者所属(当時) | 資格 | 氏名 | |
|---|---|---|---|
| (代表者) | 文学学術院 文学部 | 教授 | 川瀬 由照 |
- 研究成果概要
- 本研究では造東大寺司廃止後の東大寺を含めた平安初期の仏教造像の制作者について調査研究を行った。延暦13年(794)の平安京遷都によってそれまでの仏像造像組織が大きく変容していった。官営による東大寺大仏の造営組織である造東大寺司はすでに延暦8年(789)に廃止され、その後東大寺造寺所が引き続いて造寺・造仏・造営を担当した。一般的に修理が主な業務とされる。例えば承和5年(838)年に毘沙門天像の修理が行われたことが知られるが(造東大寺司所記文案)、担当した上神氏勝・助工鴨道往・三嶋首麿は当所の工人で当時の造寺所所属であると考えられる。この頃東大寺において造像された仏像から造像組織を想定することも可能と考えた。同寺所蔵の木造弥勒仏坐像、良弁僧正坐像は前者が9世紀後半、後者が10~11世紀とかつてみられていた。近年では両像とも制作年代をさかのぼらせる見解が出てきている。弥勒仏坐像は9世紀半ばと考えられるようになった。良弁僧正像は管見によれば承和13年(846)の制作と判定される。また、旧千手堂木造千手観音立像も9世紀後半の像とみられる。千手観音立像は250㎝を超える巨像で、出来栄えもさることながら巨像が制作できた工房が東大寺に存在していたことを証する。先述の毘沙門天像の修理では20人余りの凡工が携わっていたことがわかり、組織がなされていた。東大寺の9世紀の木彫像はいずれも木彫技法に手慣れ、鋭い彫技で衣文線等を仕上げている。これらを考慮するとき東大寺所が前代の仏像の修理に留まらない最新技法による新規制作が行われていたと言うべきであろう。弥勒仏坐像や良弁僧正坐像は上神氏勝・助工鴨道往・三嶋首麿らのいずれかの手に成ると考えられ、東大寺所の彫工が少なくとも奈良における造像を先導していた可能性が高く、周辺の木彫像が彼らの影響によって成立したとみるべきとの見解を得ることができた。室生寺木彫像や法華寺十一面観音像もこうした制作者の視点から考察することも可能なのではないかと思われ、木彫像の新たな展開が期待できるとみなされる。