研究者所属(当時) | 資格 | 氏名 | |
---|---|---|---|
(代表者) | 人間科学学術院 人間科学部 | 助手 | 国吉 瑞穂 |
- 研究成果概要
本研究では、岩手県からの海外移住者データベースを作成した。データベースは、1898(明治31)年から1941(昭和16)年の44年間(以降、戦前期)および1952(昭和27)年から1969(昭和44)年の18年間(以降、戦後期)を網羅している。戦前期・戦後期を合わせて海外移住者数は約3,700名(戦前期:約2,900名、戦後期:約800名)である。旅券発行県、旅券下付年、氏名、年齢、渡航時の出身市町村名(2024年時点の市町村名を併記)、渡航先国、渡航目的等の項目をデータベースの構成要素とした。
戦前期と戦後期の海外移住先を比較した。戦前期では、最も多くの県民が移住した国はブラジル(約2,200名)であり、アメリカ合衆国(約300名)、ハワイ(約100名)、東南アジア諸国(約90名)と続く。戦後期の移住先は南米に集中しており、パラグアイへの移住が約110家族570名と最も多く、ブラジルは約30家族180名と単身者約100名、アルゼンチンは20名に満たない。戦前期の海外移住者輩出地域を見ると、北米移住者に関しては盛岡市、一関市、遠野市、花巻町、水沢町などに集中している。ブラジル移住者について、金ケ崎町を筆頭に二戸郡田山村、江刺郡藤里村、愛宕村、稲瀬村、盛岡市、稗貫郡太田村が多く輩出している。戦後期は和賀郡和賀町と二戸郡一戸町からパラグアイへの集団移住が行われているが、盛岡市、花巻市、滝沢市、岩手郡西根町、岩手郡玉山村からもそれぞれ7~10家族が海外に移住している。
戦前期・戦後期とも県の海外移住行政は国の政策のもと進められた。特に戦前期のブラジル移住は国の政策がそのまま県の政策に反映された。戦後期の海外移住は県内の農漁家振興計画の一環として位置づけられた。また、集団で移住者を送り出すことを前提としており、当時の農林省から県内三市町村(江刺市、和賀町、滝沢村)が集団移住地域に指定されたほか、県独自でも集団移民促進指定市町村を設けられたことが、史料調査によって明らかになった。