表題番号:2024C-386 日付:2025/04/01
研究課題日本資本主義の展開過程における名望家の歴史的研究―明治中期の兵庫県玉置家を事例に
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 教育・総合科学学術院 教育学部 教授 三村 昌司
研究成果概要

本研究では、兵庫県三木市にある三木市立みき歴史資料館へ1泊の史料調査へ一度おもむき(20241031日~111日)、玉置家文書の調査とデジタルカメラによる撮影を行った。調査では、明治20年代に玉置家の当主で、その後美嚢郡会議員・三木町長・兵庫県会議員などの公職をつとめる玉置福蔵の明治20年代の日誌類の全ページ撮影をすることができた。ほかに1902年に立憲政友会の松田正久・片岡健吉・尾崎行雄が衆議院議員選挙にさいし特定の候補者を応援するよう依頼する書簡や、玉置福蔵が創設者の一人であり1893年に創設された三木銀行の営業報告書も玉置家文書に収蔵されている分を調査・撮影することができた。また玉置家文書ではないが、同館学芸員より同館収蔵の土居家文書のなかに、玉置福蔵のいた三木町の隣接地域出身の名望家である石田貫之助に関する書簡が含まれているという情報を得て調査・撮影することができた。ほかに土居家文書では、1894年に大隈重信・島田三郎・尾崎行雄・犬養毅ら立憲改進党関係者が3月の総選挙を前に選挙運動を活発化させることを当時の土居家の当主である土居源三郎に求める書簡も調査・撮影することができた。明治20年代後半から30年代にかけて、全国的な自由党系・改進党系の政治的争いが三木町・美嚢郡へも波及し、玉置福蔵もその争いのなかで三木町および美嚢郡において全国的政党から有力者として把握されていく様相をみることができた。