研究者所属(当時) | 資格 | 氏名 | |
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(代表者) | 文学学術院 文学部 | 教授 | 田中 史生 |
- 研究成果概要
本研究は、これまで継続的に行ってきた渡来人研究を基礎に、古代から中世前期の日本列島に渡来した人や文化の定着のあり方を、渡来人・渡来文化の変容過程や変容の多様性から捉えようとするものである。具体的には、①渡来した文化の担い手の古代日本における様態変容に関する分析、②日本列島内における渡来文化の多様性に関する調査・検討、③宋代の文化とかかわりの深い石刻資料を中心とした日本中世前期の中国文化の渡来と変容の調査・分析、などを中心に研究をすすめた。
上記のうち①については、古代日本において渡来系の手工業生産技術者と文字技術者は、それぞれ「手」の技、「文」の技として区別されていたことが明らかとなった。その成果の一部は、学術誌に論文として公表した。また、中国から東方諸地域へ移動した中国系知識人の子孫は、朝鮮半島と日本列島において、その様態が異なっているが、中国で出土した墓誌をもとに、この点の分析をすすめた。ただし、日本では考古学においても中国系知識人の様態に関する研究が開始されており、今後、考古学の議論との対話が必要となるであろう。また②については、主に東日本において、これまで渡来人とのかかわりが深いとみられてきた考古資料について、現地踏査を行うなどして、最近の研究動向を確認し、従来説の見直しが必要となっていることを把握した。今後より網羅的な調査が必要である。さらに③については、京都東福寺の許可を得て宋拓輿地図を調査し、加えて九州の薩摩塔についても、銘文の分析を中心に研究をすすめた。宋拓輿地図はこれまで詳細な写真がなく、拓本の調査において多くの貴重な知見を得られたが、その整理・分析は今後の課題である。一方、長崎県平戸市志々木神社中宮の薩摩塔の銘文については、釈文の再検討が必要であることがほぼ確定できたと思う。その成果の一部は、中国浙江省杭州市で開催された国際学術会議において報告した。