表題番号:2024C-319 日付:2025/09/13
研究課題中唐徳宗朝における文学の形成と動向に関する研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 法学学術院 法学部 教授 土谷 彰男
研究成果概要
徳宗朝の貞元十四年の中和節は「冀う所は君臣相歓し、式て在鎬の義を昭らかにせし」めようとしたものであって、このうち「在鎬の義」は『詩経』「魚藻」篇に出る謂である。帝王饗宴における『詩経』「魚藻」篇の考察は、古注および新注における釈義の異同を明らかにしたうえで、『文選』の用例を確認し類書の引用を検討し唐詩の用例を分析した。とりわけ唐詩の用例においては、これに先行する南朝梁の沈約が周武王「在鎬の宴」における「魚藻」と漢武帝「汾水の遊」における「秋風辞」を対句に作り、継いで沈佺期や宋之問がこれを襲い、さらに張説、張九齢および王維がこれに続いた。このうち王維七律の作は、盛唐の韻律の完成のもと平仄に沿って「武王」に作らず「文王」と作るに及んで、ここに盛唐文学の力の横溢の一端が示されていると考察した。中唐では権徳輿が帝王饗宴は周武帝の「在鎬の饗宴」の「和やかさ」に求められるべきものであって、漢武帝の「汾水の遊宴」の「華やかさ」は採るべきではないと述べており、これを憲宗の宰相李絳の言によって傍証し、中唐士大夫の合理的精神と精神的安定は盛唐の芸術至上の克服のうえに成り立つものと考察した。「在鎬の宴」を文王のものとすることについては、つとに清・徐文靖『管城碩記』が『逸周書』を引いて「周文在鎬」を指摘したが、その類例を『詩経』「文王有声」篇に見出し、文武継嗣による王朝の正統性と国家の一体性が示されているから、「在鎬の宴」は帝王頌徳を通じて王朝の奠基たる意義を現出させようとしたものと考察した。帝王饗宴における「在鎬の義」は、玄宗朝の天宝十載の百官游宴に先行する類似例(在鎬之恩)があり、徳宗朝の「在鎬の義」は国家の奠基である李氏唐王朝の一体性や正統性を高らかに示そうとしたものと考察した。本研究の成果は『中唐文学会報』第三十二号に示される予定である。