研究者所属(当時) | 資格 | 氏名 | |
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(代表者) | 法学学術院 法学部 | 教授 | 辻 リン |
- 研究成果概要
書物としての宝巻には、刻本・抄本・石印本・鉛印本の各種があり、体裁も古い豪華な摺装本と一般的な冊子本とがあり、その用途も教派教典、善書(施本)、宣巻台本、商品(読物)として普及されていた。本稿は、研究の段階的成果として、早稲田大学所蔵する宝巻の巻末に附刻する刊記、助刊者などの情報を手がかりに、宝巻の出版・流通状況を分析した。とりわけ功徳用の施本を主として取り扱う出版所「経房(善書局)」に着目して、その刊行活動と宝巻文芸の商業化との相互影響関係を明らかにした。
明代の早期宝巻は仏書と見なされていた。仏書は神聖なものとして扱われるため、他の俗書と異なって、坊間の書肆で営利的に刊行されることが少ない。有力な寺院で刊行する、または后妃・名家・富豪などが、権威と財力とをもって後援者になり、その刊行を助けるのが通例であった。助刊の名目も、祖先の供養や病気平癒の還願など、さまざまであるが、版木を蔵する寺院などに銀を納めて必要なだけの部数を印刷させ、いわゆる施本とすることである。
明末清初では当局の取り締まりがきびしくなるため、豪華な摺装本の刊行は漸次に衰退した。刊行の出資も上流有力者を期待することはできず、中流階級以下の信者寄進を呼びかけるよりほかなくなる。信者層が地方農村に拡大するのに反比例して、一人あたりの寄付額は零細になり、出版物も粗末なものになっていく。
清中期以後、宝巻はほかの仏書・道書と同じく「善書」の一種として各地の寺廟や善書局で刊行され、原版を蔵しておき、注文に応じて必要部数を印刷した。善書とは本来、慈善事業の一種として功徳と教化のために有志の団体または個人が無料で増刷配布するものであるが、宝巻の娯楽化・商業化と相俟って、しだいに全国各地に「経房」という専門の書肆が無数に増え、商業的な出版活動を行っていった。