研究者所属(当時) | 資格 | 氏名 | |
---|---|---|---|
(代表者) | 高等学院 | 教諭 | 柿沼 亮介 |
- 研究成果概要
本研究は、東アジアにおける「辺境」支配を比較することで、「辺境」が果たしてきた役割について明らかにするとともに、かねてより提起してきた《国境離島》概念に基づいて「辺境島嶼」を通時的に理解することを目的とする。「辺境」地域においては中央とは異なる仕組みの支配体制が敷かれる場合があるが、これは「辺境」が“内”と“外”との境界でもあり、“外”の世界との関わりを強く持っているからである。そこで、東アジア諸国の「辺境」地域における対外交流と、国家による地域支配の関係について検討することで、境界地域としての「辺境」の機能の解明を目指すものである。
研究内容としては、主に北方と南方の「辺境」に注目した。北方では、北東北と北海道における「日本」の支配の進展の様相について通時代的に整理し、境界地域としての北東北と道南との連続性について考察するとともに、国家による「辺境」認識がいかにして形成され、「辺境」支配がどのように行われてきたかということを検討した。近世以降の支配においてはアイヌ民族について、後に「日本」の一部となる北海道に居住した先住民族として捉えるのみならず、北方諸民族の中で相対化して位置付けることによって、国家の視点ではなく地域の視点から北方史を理解することができるという知見を得た。
南方では、奄美・沖縄・先島という琉球王国が版図とした3地域の中で、王府を擁する支配的立場であった沖縄地域内での「辺境島嶼」の位置付けについて、久米島を中心に検討した。久米島は、中国との通交の要衝であったことが島の政治的位置づけや社会を規定していたと考えられ、その視点から今後の研究を進める上での予備的な調査を行った。
これらを踏まえて今度は、東アジアの諸国家による領域支配において、どこまでが「国土」として認識され、それによってどのように「辺境」化が進められたかを明らかにしていきたい。