表題番号:2023E-044 日付:2024/03/29
研究課題フランスのmaison de rendez-vousについての諸研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 本庄高等学院 教諭 三枝 亮也
研究成果概要

本研究では19世紀後半のパリにおける公娼制度廃止運動が一通りの盛り上がりを見せた前後に興隆したmaison de rendez-vousに焦点を当てたものである。飲食店を装い、あくまで個人同士の合意の上で売春行為を斡旋するこの店は主に以下の点で男性、女性のどちらにも支持されその店舗数を増大させた。女性にとっての利点は、これまでの公認娼家とは異なり警察に娼婦としての登録を行わなくても良い、という点である。これにより、警察の監視、定期的な医療検診を受ける必要がなくなるため、望んだときに来店して売春行為に従事することができ、女性にとっては自由な売春の場となり、多くの女性が出入りしこの形態の店は興隆していった。男性にとっては性感染症の感染リスクが低いことが主な来店の理由となった。梅毒をはじめとする性感染症の病巣としての認識が高まっていた公認娼家とは異なり、売春行為を生業としていない女性との性行為は性感染症の罹患のリスクが非常に低く、さらには上記のようなこれまでになかった形態への目新しさという点からこの店を支持した。これまでの抑圧的でかつ、性感染症拡大のリスクを止めることのできなかった公娼制度を大きく転換させたこの店を、Henri TurotAdrien Mithouardが支持し、1904年のパリ市議会においては警察に対して、この店の認可と、娼家並びに公娼制度の廃止を求め、実際に警視庁はmaison de rendez-vousを一部認める方針へと転換していった。この店の営業形態は、公娼制度廃止運動でYves Guyotらが主張した売買春のあり方にある程度応える結果となったこと、さらにTurotMithouardの主張は公娼制度廃止運動の大きな影響を受けていることから、1870年代後半の公娼制度廃止運動と、maison de rendez-vous並びにこれらの店をめぐる一連の議論との連続性を改めて確認することができた。