表題番号:2023C-624 日付:2024/02/05
研究課題1950年代後半における柳田民俗学の組織化ー「橋浦泰雄関係文書」を中心にー
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 文学部 教授 鶴見 太郎
研究成果概要
 柳田国男の民俗学がどのようにして組織的な基盤を整えるに到ったか、戦後の動向について1950年代後半を射程に資料収集・分析を行った。その際、戦前から柳田民俗学の地方に対する影響力を持った民俗学者・橋浦泰雄の残した資料を参照点のひとつにした。同資料に含まれている、地方の郷土史家からの来信は、依然として柳田国男の民俗学が広範囲にわたる地方に対し、「民間伝承の会」設立時と変わらない一定の影響力を保持していたことを伝えている。
 一方、当該の時代とは、1)すでにこれに先行して「民間伝承の会」が日本民俗学会として発展的解消を行い、1950年の八学連合会、翌年の九学連合会に参画するなど、ひとつの学術領域として学界から認知されており、その意味で従来のアマチュア的な要素が次第に薄らいでいた時期であり、2)民俗学(特に柳田によって唱導された民俗学)が示す調査の在り方、研究方法上の問題点について、社会学・文化人類学の側から批判が行われた時期に符合しており、その意味では学界を中心に民俗学内部でも調査地における聞き取りを重視する民俗採集に疑問が生じていた。この場合、2)については、柳田民俗学そのものへの方法上の批判が含まれている点で、戦前・戦中と比較すると、明らかにそれまで顕著ではなかった現象といえる。以上から当該期の民俗学は、学会化されたことにより、民俗事象を把握する上でより洗練された方法を模索する学界と、地方を中心に従来の柳田の民俗学が影を落としている状況が互いに意図せざる形で併存している様相が浮かび上がる。
 また、橋浦泰雄と柳田国男の緊密は関係性を示す事例のひとつとして、『明治大正史世相篇』を執筆していた当時、柳田が急遽、橋浦に連絡して彼に労働に関する一章を分担してもらった経緯について考証を加え、同書の叙述と橋浦が担当した部分の視点形成、関心の置き方に若干の異同があることについてまとめ、発表した(「研究成果発表実績」の欄を参照)。