表題番号:2023C-441 日付:2024/04/08
研究課題四国における茶堂の建築と習俗の研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 理工学術院 創造理工学部 准教授 小岩 正樹
研究成果概要

茶堂とは、農村集落ごとに建てられた一間四方ほどの規模の、三方吹き放しの建築である。辻堂とも呼ばれ、旅人の休憩場所であり、集落の人々が旅人を接遇する場所、また集落内での儀礼や親交の場でもあるとされる。特に四国では、土佐(高知県)と伊予(愛媛県)に多く見られ、山間部の旧街道沿いの集落にある。遍路巡礼の盛行に伴い江戸期に成立したと見られるが、地域コミュニティのあり方や、地域の外部への接触のあり方など、その文化的背景を含めて特徴的である。そのため、無形民俗文化財に茶堂の習俗として指定されてはいるが、巡礼の様相や集落のコミュニティ、交通手段の変化等より、茶堂は失われつつあり、例えば高知県梼原町では、明治には56集落で53棟、昭和40年代に39棟があったものが、現存は13棟が残るに限られる。また隣接する愛媛県西予市城川町では、53集落に残るとされるが、正式に把握できてはいない。したがって、本研究では現存する茶堂建築および行われる習俗の記録を行い、その成り立ちの仕組みについて歴史的観点から考察することを目的とする。本年度の調査は、一昨年の下見調査、昨年度の高知県梼原町の茶堂調査を踏まえて、愛媛県西予市城川町の茶堂を対象とし、建築の配置調査と図面作成、写真撮影記録を行い、現存確認と地域および集落の中での立地、成立要因について考察した。具体的には、資料や地図にて対象とする茶堂を確認することで72棟の調査対象を得ることができ、現地確認によってこのうち68棟が現存することが判明した。建築形式としては、規模や平面形式、屋根形式は昨年度調査の高知県梼原町のものと大きく変わらず、信仰形態としては大師信仰を中心に、地蔵菩薩、道祖神などが見られた。立地としては、やはり基本的に各集落の入口に設けられる傾向があり、集落と外部との関係の中で成立することが読み取れる。今後は、城川町の歴史的資料調査を行い考察を加える計画である。