表題番号:2023C-357 日付:2024/04/05
研究課題神仏習合と修験に関する調査研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 文学部 教授 川瀬 由照
研究成果概要
本研究ではこれまでの受けた特待課題の研究を受け、修験美術における神仏習合について研究を行った。その中心として日光山輪王寺が所蔵する銅造神像について研究を行った。同寺には壮年相の男神像と女神像が一対で祀られている。体部に嘉元3年(1305)十二月、願主当上人覚音の刻銘を有する。近年これと同銘文の若年相の男神像が見いだされ、法量や材質、作風の近似から三軀の一対像であることが判明した。輪王寺の二像ではわからなかった位置づけが若年相男神像を加えることで日光三山の垂迹神を表したものであることが明確になった。つまり古来より男体山、女峰山、太郎山は日光山の垂迹神が宿り、絵画では輪王寺所蔵の正和二年(1313)、正和五年(1316)銘の板絵があり、中央に女神、左右に男神を配する。彫像で三神を表したものはほとんどなく、本彫像は重要作例とみられる。女神は女峰山を表し、若年相の男神は太郎山になるかと考えられ、壮年相は男体山になろう。本一具では女神と壮年相男神像が片足を下げてもう一方を組んで坐す。若年相男神像が両足裏を合わせて坐す姿になり、三尊形式としては若年相が中央で、左右に女神と壮年相が配する形式になろう。ただ絵画作品に比べると足の組み方が異なり、先述の板絵は中央に女神を配する。さらに同寺所蔵の絹本著色の掛軸装では壮年男像と女神を対にしてその向かいに若年相男神像を描く。対の男女神は片足を下げ、若年相は両足を合わせて坐る形式となっている。一様でない表現形式については今後再検討したいが、半跏踏み下げの像は仏像では東大寺大仏脇侍や興福院三尊脇侍など奈良時代より脇侍像に見られる表現である。神像では大将軍神像に見られるが少ない。つまり仏像の脇侍を意識して三尊形式をあらわすために行われた表現であろう。おそらく日光山と奈良との関係からつくられた形式を想定され、その端緒についての考察は次の課題としたい。