表題番号:2023C-348
日付:2024/02/05
研究課題教判論をめぐる天台・法相宗間の教理交流の検討
研究者所属(当時) | 資格 | 氏名 | |
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(代表者) | 文学学術院 文学部 | 助手 | 武本 宗一郎 |
- 研究成果概要
最澄・徳一論争における議論を視座として、天台・法相宗間の教理交流の検討を行った。具体的な研究活動としては、①『提謂経』の教判上の位置づけに関する問題と、②法相三時教判における般若教の位置づけに関する問題を中心に解明を行った。
①『提謂経』の教判上の位置づけに関する問題
北魏の曇靖が撰述したとされる『提謂経』は、従来、中国思想との関連において注目され、経典の成立背景の考察や、逸文の検出を中心に研究が進められてきたが、教判論における位置づけは十分に考究されてこなかった。
本研究では、最澄義に着目し、教法・得益・説時の各側面から、中国・日本天台の学匠による『提謂経』の処遇を鳥瞰することで、天台教判論において『提謂経』がどのように規定されてきたかを明らかにした。その際、法相宗の論義である「提謂経大小」にも触れ、天台・法相宗間の教理交流の重要性を指摘した。
②法相三時教判における般若教の位置づけに関する問題
本研究では、三時教判における般若教の位置づけについて思想史的に跡付けた。
唐代の法相唯識の学匠は、唯識中道教の側面があることを認めつつも、般若経典を第二時とする。他方で、最澄が引用する『大乗義林章』では、般若経典が第二時ではなく第三時に当たるという批判を取り入れて、三時教判の改変を行っている。このような理解の相違は、日本では南都北嶺において議論の対象となり、中世の法相宗では、第二時に『大般若経』以外の経典が当たるのかという問題として論義化されていく。
以上の思想史的な流れは、日本では法相宗と三論・天台宗との密接な教学交渉の中で醸成されたことを指摘した。