表題番号:2023C-341 日付:2024/02/29
研究課題イェナ期知識学における「現象学的議論」の意義について
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 文化構想学部 助手 尾崎 賛美
研究成果概要

本申請課題において報告者は、近代ドイツの哲学者であるヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(1762-1814)がイェナ期に構想した思想(知識学)を解釈する上で、「現象学的議論」がもち得る意義について取り組んだ。この現象学的議論は、フィヒテの「自我das Ich」をめぐる思想(以下、自我論)を解釈する上で、「超越論的議論」と並ぶ重要な支柱として、彼の思想の内に見出されるべき立脚点である。

フィヒテの「自我論」を超越論的議論として解釈する場合、「自我」概念は経験的意識一般の可能性を説明する超越論的概念として位置づけられる。たしかにフィヒテは、「自我」概念の指示する内実(「自我」そのもの)は経験的意識における具体的な対象のようには現象し得ないと主張する。しかし、その一方で「自我」はまったくの抽象概念でもないと彼は論じる。こうした一見相反するような主張を踏まえ、フィヒテの自我論を整合的に解釈するにあたり、現象学的議論という観点が重要になる。それは「自我」概念の指示する内実を〈意識の働き〉として捉え、その働きの実在性こそが「自我」そのものであるという解釈を可能にする。

報告者は博士学位申請論文において「自我」概念の究明を主題としたが、一連の考察において、超越論的議論と現象学的議論というふたつの側面からアプローチするという手法を採用した。フィヒテ、および彼に大きな影響を与えたイマヌエル・カント(1724-1804)において展開される超越論哲学という思想において、「自我」は(本や机といった)経験的な意識対象へと還元され得る内実をもたない。しかし、だからといってこの「自我」はたんなる抽象概念でもなく、むしろある種の実在性をもつ。この実在性が経験的意識と「自我」との紐帯となる。こうした解釈と上述の手法に基づき、同申請論文で報告者は、超越論的議論と現象学的議論という二つの観点から光が当てられてこそ可能となる自我論研究を遂行した。