表題番号:2023C-338 日付:2024/04/05
研究課題ポスト9・11のアメリカ文学における戦争とジェンダーの表象
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 文化構想学部 助手 井上 菜々子
研究成果概要

報告者は、イラク戦争を描いた短編集Redeployment (2014) において、Phil Klayが前線の兵士と銃後の市民の架橋をいかに試みているかを研究してきました。VonnegutやO’Brienの時代は徴兵制であり、銃後のアメリカ市民は戦争や軍人を比較的身近に感じていました。しかし、ヴェトナム戦争への反戦運動などの影響を受けて徴兵制から志願制に切り替わると、従軍者の激減に合わせて、戦争への市民の無関心が目立つようになっていきます。Allyson Boothらが指摘するように、クレイが描くのは、前線と銃後間での胸襟を開いた対話を回復させる試みです。本作でクレイは、戦争を語り得ぬものとするヴェトナム戦争時代の風潮を、市民の無関心を助長させるものとして退け、代わりに一兵士の視点がチェス駒のそれに過ぎないとして相対化しながらも、12種類の職種・職務の語り手を駒として配置し、盤面すなわちイラク戦争の全貌を少しでも捉えようと試みます。本作には、兵士の精神衛生をケアする従軍神父や、現地の経済復興支援に取り組む外交局員、アラビア語を話せるコプト教徒のエジプト系アメリカ人などが語り手として登場しており、視点の多様性を確保しようとするKlayの創意工夫が見られます。本研究では本作の一編 “War Stories” に着目し、トラウマ研究のJudith Hermanの理論を援用しながら、ある作中の兵士の負傷事故の真相や、それにふさわしい語りのモードを巡って、いかに複数の語りがせめぎあっているかを研究してきました。工兵Jenksは、周囲への感謝を絶やさぬタフな軍人として受傷経験を語ります。しかし、それを聞く女優Sarahは、Hermanのトラウマ記憶の再構成を通じたPTSD治療に則るかのように、その語りの表面性を突き崩し、Jenksを辛いリハビリの記憶に向き合わせます。語り手の工兵Wilsonは、Sarahのやや強引な干渉を非難しながらも、彼も彼でJenksの語りを自分のナンパのためのヒロイックな箔付けとして利用しています。Jenks、Sarah、Wilsonのいずれの語りにも多かれ少なかれ粗が見受けられますが、むしろその粗が彼らの立場を不完全な人間同士としてある程度均し、その対話を通じて、兵士や市民による戦争や受傷経験との向き合い方が模索されます。報告者は同短編集の “Prayer of the Furnace” と “Psychological Operation” の分析も進めており、これらの本研究の成果を2024年度に研究発表や論文として公開することを目指しています。