表題番号:2023C-270
日付:2024/03/29
研究課題遼陽壁画墓による2~4世紀の遼東社会の研究
研究者所属(当時) | 資格 | 氏名 | |
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(代表者) | 本庄高等学院 | 教諭 | 三崎 良章 |
- 研究成果概要
- 遼寧省遼陽市で発掘された後漢魏晋時代の壁画墓について、近年、『漢魏晋遼陽壁画墓』(遼寧人民出版社)、『遼陽壁画墓』(遼海出版社)が相継いで出版され、これまで知られていなかった墳墓の存在を知ることができるようになり、また従来公表されていなかった壁画の画像がカラー写真や模写で見ることができるようにもなり、研究環境が整備されていた。そこで本研究では、上記の資料によって壁画の内容、墳墓内での描かれる場所等を分析するとともに、遼陽市の遼陽市博物館、瀋陽市の遼寧省博物館において画像(含模写)を実見して、遼陽壁画墓の全体像を把握したうえで、河西の墳墓画像と比較して当該時代の遼東社会の実態を検討した。本研究においては、画像のうち「天象図」に焦点を当てた。遼陽の壁画墓は現在39基存在が確認でき、そのうち画像についての報告がある墳墓は35基である。そのなかで「天象図」が描かれているのは棒台子1号墓・棒台子2号墓・北園2号墓・車騎墓・三道壕2号墓・東門里墓・南林子墓・南郊街東漢壁画1号墓・南環街墓・鵝房1号墓の10基である。その中心は日月であるが、一部には太陽の中に三足烏、月の中に蟾蜍が描かれ、遼陽においても中国の伝統的な天体観が継承されていることが分かる。ただそれらはあくまでも現実の世界の一部として描かれるように見える。遼陽で壁画墓が造営された時期より若干遅れる3~5世紀には、甘粛省西部の河西地域でも画像を伴う墳墓が造営された。その河西の墳墓画像では現実に存在する事物以外に西王母、東王公、伏羲、女媧や四神、神獣等が多く描かれ、死後の昇天や昇仙が強く意識されている。これに対して遼陽では、三道壕3号墓と東門外墓に四神様の画像が描かれていると報告されている以外は、ほとんど現実の事物のみが描かれる。したがって「天象図」の日月も、伝説上の蟾蜍や三足烏を描くというよりは伝統的な日月の表現法に従っていると理解でき、そこに遼東社会の性格の一端を伺うことができた。