研究者所属(当時) | 資格 | 氏名 | |
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(代表者) | 高等学院 | 教諭 | 柿沼 亮介 |
- 研究成果概要
本研究は、日本列島・朝鮮半島・中国の「辺境」支配を比較することで、東アジアにおいて「辺境」が果たした役割について明らかにすることを目的とするものである。「辺境」における「中央」とは異なる仕組みの支配のあり方について、甑島、宮古島、巨済島を対象として研究した。
甑島は薩摩国の郡の一つであったが、同じく西海道の「辺境島嶼」にあたる対馬、壱岐、多褹(種子島や屋久島)、値嘉(平戸と五島列島)には「嶋」という行政区画が置かれた。古代には甑島や天草、長島にも外交使節が来着するなど、対外通交において一定の役割を果たしていたが、「嶋」が置かれた島と置かれなかった島の相違点について、甑島の地理的条件や歴史の展開を踏まえて検討した。
宮古諸島は、八重山諸島とともに先島諸島を構成し、沖縄島を統一した琉球王国によって征服された。そのため、日本列島の「周縁」に位置する琉球王国からさらに「周縁」化された地域であり、そのことが琉球・沖縄や「日本」への意識に現代でも大きく影響している。さらに、沖縄では中国・福建との歴史的な関係が強調されるのに対して、八重山では台湾との間でのヒトやモノの往来が歴史的に活発である。そこで、沖縄島と八重山の間にある宮古島における中国との通交や琉球王国との関係について検討した。
巨済島は朝鮮半島南東部の島であり、弥生時代の交易拠点となっていた朝鮮半島南部の勒島と原の辻遺跡を擁する壱岐島の間に位置する。対馬と朝鮮半島との間の航路としても重要な役割を果たしていたと考えられることから、7世紀に築かれた屯徳岐城などの調査を通して、海洋交通における巨済島の役割について検討した。
これらを踏まえて今後は、「辺境島嶼」の対外通交上の機能が国家による支配のあり方や地域社会に与えた影響について明らかにしていきたい。