表題番号:2023C-258 日付:2024/04/02
研究課題三宝尊における有相分別・無相分別と増益分別・損減分別の比較分析
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 高等学院 教諭 飛田 康裕
研究成果概要
三宝尊は、5世紀から6世紀の学僧と伝えられ、『般若波羅蜜多円集要義論註』の著者として知られている。そして、この著作は、やはり同時代の人と目される陳那の『般若波羅蜜多円集要義論』に対する註釈である。陳那については、主著『集量論』の研究が進展し、彼の論理学の体系が明らかになりつつある。しかし、陳那の唯識思想や般若思想については解明が未だ十分でない。その意味で、三宝尊の註釈を吟味することは、陳那の思想を総合的に理解するための資助にもなる。本研究においては、「無体分別」・「有体分別」そして「増益分別」・「損減分別」を分析の対象としたが、世親(4世紀頃)等の伝統説によれば、先の二分別は「人我」を問題とし、後の二分別は「法我」を問題としていると概括することができる。ところが、これらと三宝尊の註釈を比較すると、増益分別と損減分別に限っては、伝統説の意図をほぼ踏襲していると言えるものの、無体分別と有体分別については、論題を「人我」に限定しようとする意図が乏しく、その結果、無体分別と損減分別、そして、有体分別と増益分別の解釈が、それぞれ、似通うかたちとなってしまった。それでは、三宝尊は、なにゆえに、無体分別と有体分別の解釈において、人我の議論という限定を取り払ったのか。比較分析の結果、その原因は、陳那と三宝尊が、伝統説の枠組みを超えて、この両分別に「初学の菩薩における修習」という役割を付与したことが大きく影響していることが明らかになった。その修習においては、菩薩のレベルに応じて、あらゆる事物をあらゆる仕方で否定する見解も無体分別の論題となれば、勝義の五蘊を否定する見解もまた無体分別の論題となり、他方、世俗の五蘊を肯定する見解も有体分別の論題となれば、勝義の五蘊を肯定する見解もまた有体分別の論題になる。このため、この両分別の教説は、広範な有と無の問題を扱う議論へと拡大することとなったのである。