表題番号:2023C-187 日付:2024/04/04
研究課題戦後日本知識界の自発性と受動性―対米・対中知的交流の歴史的研究―
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 社会科学総合学術院 社会科学部 助手 駱 豊
研究成果概要

 本研究は、戦後日本知識界における米中の影響を歴史的に考察したものである。

 戦後まもなく1949年10月から、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)は「プレスコード」を発効させ、日本中のすべての出版物に対する検閲を行っていた。検閲された出版物のなかで、GHQの方針に従わない内容は削除・変更・掲載禁止など処分された。これらの検閲記録が、「プランゲ文庫」として保存され、占領期研究の重要な資料となった。

 なお、戦後日本知識界のアジア認識は、GHQの検閲を通して、いかに変更修正されたか、あるいはいかに知識人が主体性を維持したか。これらの問題意識を用いて、検閲資料におけるアジア認識の再構築を検討した。具体的には、二つの視点を中心に考察した。一つは、戦時中のアジア認識に対する克服である。近代日本がアジア各国との戦争を通して、アジアにおける植民地や占領地を獲得したとともに、アジアに対する蔑視観が根強くなった。戦後、戦時中のアジア認識を根本的に変えようとしたGHQは、いかなる影響力を発揮したのか、検閲ファイルを通して明らかにした。二つ目の視点は、共産主義に対する抑圧である。米ソ冷戦の本格化とアジアの情勢変化に伴い、GHQがいかに共産主義に対する抑圧を行ったか、そしてアジアにおける共産主義の台頭をいかに論じられてきたか、出版物の論点と検閲の齟齬を明らかにした。

 一方、1950年代から中国は積極的に対日工作を行った。とくに、日本知識界に対して、訪中招待を通して「友好文化往来」を展開した。本研究では、日本知識人の訪中報告書やルポルタージュを通して、その文化交流の効果を検討した。具体的には、中国地方公文書(上海市檔案館)の一次資料を活用し、招待外交の実践レベルに注目した。ゆえに、中国外交部資料の公開が停滞している現状において、地方における対外関係文書を新たな資料として着目し、中国の「統一戦線」の目的と実態を明らかにした。