表題番号:2023C-186 日付:2024/04/05
研究課題対支文化事業の理念の形成と変遷 ―共約可能な言説をめぐる日中の思想と行動―
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 社会科学総合学術院 社会科学部 助手 桑原 太朗
研究成果概要
本研究によって以下の4点が新たに明らかとなった。① 1930年代初期における「国際文化事業」構想を発見。1931年の外務省文化事業部において、対中国に限定されない大規模な「国際文化事業」を実施する構想がすでに存在したことを明らかにした。この構想は「対支文化事業」の停滞を解決するべく欧米の対外文化政策を研究した成果から案出された文化事業部の拡大改組案であった。② 「国際文化事業」構想における政治性と「新外交」規範の共存を発見。外務省文化事業部における「国際文化事業」構想は、「対支文化事業」を政治から切り離して実施するべきとする理念として従来評価されていたが、実際は国益を重視する側面が強いことを明らかにした。また、非政治的な対外文化政策こそが「新外交」理念を象徴するものとして評価されてきたが、この構想の発案者にとって「新外交」理念は他国に軍事力を行使しない原則のことであり、このような「新外交」理念は、対外文化政策が政治的であるという認識となんら矛盾しなかったことを明らかにした。③ 「国際文化事業」構想の立場からの「対支文化事業」批判を発見。1931年ごろには、「対支文化事業」は国益に貢献していないという批判がある程度存在していたことを明らかにした。このような批判は、「対支文化事業」を国益に資する「国際文化事業」に拡大・改組させようという論調につながっていった。④1920年代と1930年代との、対外文化政策認識の差異を発見。対外文化政策が自国に有利な国際環境を構築する手段であることは共通しているが、1920年代は学術分野をはじめとした特定分野の協力が長期的な国交改善に資するという認識であったものの、1930年代からは外国の大衆に直接訴えかけることで短期的に対日認識を変化させることを主眼に置くようになったことを明らかにした。これらの研究成果は、「近代⽇本における⽂化の総動員構想―⽇本政府による⽇中⺠間⽂化交流への関与に着⽬して—」 (早稲田大学・武漢大学共催「『日中平和友好条約』45周年記念―日中関係における政府と民間―」 2023年12月1日)にて報告された。