表題番号:2023C-131 日付:2024/03/21
研究課題日本のメディアはメキシコをどう描いてきたか
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 理工学術院 創造理工学部 准教授 岡田 敦美
研究成果概要

本研究は、日本のメディアが「メキシコ」をどのように扱い、報道してきたのかを明らかにすることを目的としている。既に19世紀の東京朝日新聞による報道の分析を行い、東京朝日新聞の場合の大枠としての動向が掴めていたため、本年は読売新聞の報道の事例を主軸とした分析を行った。

読売新聞の場合も全体的な傾向は東京朝日新聞と類似しており、移民関連(榎本殖民)、日墨修好通商条約関連、墨銀(メキシコドル)を巡る報道が中心であることが確認された。その上で、その他の報道内容を詳細に分析したところ、その多くが移民事業と密接に関連した報道であり、特に交通・通信を巡る報道が移民地(榎本殖民等の)の地政学的な条件として取り上げられていた。

交通については、日墨間の定期航路を巡る報道もあるものの、何より鉄道、それもテワンテペック地峡という、当時、スエズ運河と並ぶ世界の交通の要衝として注目された、アメリカ大陸の地峡地域の地峡横断鉄道が着目され、その重要性が報道された。そして、地峡鉄道は、榎本殖民の行き先(場所)の地理条件という文脈を伴って報道されていた。

このことから、メキシコへの移民事業を、アメリカ大陸の交通の要衝を支配下に置こうとする日本の地政学的で公的な目論みだったと直ちに結びつけることはできない(より詳細な研究が必要である)ものの、新聞のような民間の言説における関連性は示唆された。

また、移民事業関連の報道は、分厚く、且つ現地からの直接の情報に基づくものではあるものの、移民事業推進者からの一方的な情報のみが報じられていたことが確認された。移民事業の失敗と悲劇に、新聞が責任を負うことが示唆された。

メキシコの内政に関する報道は、経済政策(移民推進事業や社会基盤関連の整備など)に偏向し、政治面は軽視された。そのため、後のメキシコ革命の伏線となるような憲法や大統領再選を巡る論争は全く報道されないという問題点があった。