表題番号:2023C-054
日付:2025/09/15
研究課題中世荘園制の地域的展開に関する環境史的研究
研究者所属(当時) | 資格 | 氏名 | |
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(代表者) | 教育・総合科学学術院 教育学部 | 教授 | 高木 徳郎 |
- 研究成果概要
- 中世荘園制は、日本の中世(およそ11~16世紀)において、京都・奈良などの中央都市に存在する権門領主が、列島各地に立地する荘園を領有・統治することで成り立っている土地制度である。交通や情報伝達のあり方が未発達なこの時代において、距離の遠近を問わず、地方に所在する荘園を中央に居住する権門領主がいかにしてその支配を成り立たせていたのかという問題は、必ずしも自明のことではない。一方、中世後期になると、列島の各地では、惣荘・惣村などと呼ばれる自立的な村落の活動が活発化してくる。気候変動による災害や国人と呼ばれる武士たちの勢力争いによる戦乱などが頻発する中、自立性を強める村落とその住人たちは、土一揆・徳政一揆などの活動をいっそう強めていった。15世紀半ばの大和国では、柳生郷をはじめとする郷村の住人たちが、正長の徳政一揆を起こして自らが負う負債の破棄を宣言する徳政の碑文を記して在地徳政を実行したことがよく知られている。本研究では、現在の奈良市柳生町に残る、この徳政碑文の現地調査を行った。碑文は旧奈良街道が柳生郷に入る位置に立地する13世紀頃に造立された磨崖仏の傍らに刻まれており、外から負債の回収に訪れる金融商人に向けて刻まれたものであることが想定された。また、柳生郷の東西南北の村境にあたる場所には、これと同様の磨崖仏や石仏があることが新たに判明し、外部から独立した空間としての柳生郷の姿が浮き彫りになった。