表題番号:2023C-002 日付:2024/02/09
研究課題Research about the Franciscan letter from the Keihan Christians requesting the beatification of the Nagasaki martyrs
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 政治経済学術院 政治経済学部 准教授 マルティ・オロバル ベルナット
研究成果概要
本研究では、1604年(慶長8年)12月25日付で、京阪のキリシタン代表によって日本語で書かれた日本二十六聖人の殉教を巡る文献に焦点を絞った。史料自体に題目は見られないものの、日本の先行研究では「京坂信徒代表二十六殉教者列聖請願書」と呼ばれている。この史料には京坂地域のフランシスコ会のキリスト教徒代表者12名の署名があり、ローマ教皇に向けて、1597年に処刑された日本人二十六名の殉教を説明し、彼らの列福・列聖を要請している。この史料はフランスの東洋学者アントワーヌ・カバトン(Antoine Cabaton 1863-1942)によって1915年頃にローマ市のフランシスコ会の修道院サンティ・クアランタ(Santi Quaranta)で発見され、その後1926年にフランスの日本学者であったジョゼフ・ドートルメール(Joseph Dautremer 1860-1946)の学術論文で紹介され、フランス語に訳された。その後、西洋ではこの史料はほとんど注目を浴びてこなかったが、日本では、複数の論文で紹介されたり、翻刻されたりしてきた。そして、1961年に野間一正(1928-没年不詳)によって、この史料がもう一部、スペイン、グアダラハラ地方のフランシスコ会パストラーナ修道院で発見され、先行研究では当時から現在に至るまで、「京坂信徒代表二十六殉教者列聖請願書」はイタリアのものとスペインのもの計二部存在していると繰り返し言われてきた。本研究では史料の特徴を分析しながら、史料に関する研究調査を行った。最終的には、根拠を示しながら、今までの先行研究の中で生じた誤りを正し、「京坂信徒代表二十六殉教者列聖請願書」は一部しか存在せず、それが現在マドリード市にあるフランシスコ会無原罪の御宿り管区文書館に史料番号AFIO 600-15-1として保管されていることを示す。何故なら、1920年代から50年代の間にフランシスコ会がサンティ・クアランタに保管されていた請願書をローマからパストラーナに移したという事実があるからである。請願書が移動された後に、そのことを知らずに野間一正はイタリアにあったものそのものを「再発見」したのみである。最終的に、唯一の史料はローマからパストラーナを経由し、マドリードへと移された。