表題番号:2021C-697 日付:2022/04/03
研究課題1626-7年の東北地方における宣教師の論争
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 政治経済学術院 政治経済学部 准教授 マルティ・オロバル ベルナット
(連携研究者) 國學院大學 兼任講師 島田潔
(連携研究者) 上智大学 准教授 アントニオ・ドニャス
研究成果概要
島田潔(國學院大學)及びアントニオ・ドニャス(上智大学)と共にマドリード市に保管されている、フランシスコ会イベロ・オリエンタル史料コレクションに「AFIO 23-8」として登録されている史料の研究、翻刻、写真、現代語訳及び英訳の準備を進めた。この史料は、キリシタンの既存史料の大半は宣教師によってヨーロッパ人向けにポルトガル語及びスペイン語で書かれたものであるのに対して、ヨーロッパ人の宣教師と日本人信者の協力によって日本人向け(同時にライバルの宣教師向け)に書かれた稀有な史料であり、そこに更にスペイン語の文章が書き加えられている点で、非常にユニークな史料であるといえる。
 史料全体はいくつかの部分で構成され、複数の人物により、日本語及びスペイン語で執筆されているが、その内容を簡単にまとめると、1626-7年に東北地方で行われたイエズス会とフランシスコ会、つまりキリスト教宣教師同士の教義及び布教の権利を巡る論争である。時代的には、まさに日本においてキリスト教が衰退し、本格的な迫害を受けていた時代であり、全ての外国人宣教師の死、追放、背教によって、日本からキリスト教がほとんど姿を消したのは、この直後のことであった。
 殉教が始まると共にイエズス会と托鉢修道会(フランシスコ会、ドミニコ会、アウグスティヌス会)の摩擦は大きくなり、互いにその迫害の責任をなすりつけ続けた。それのみならず、イエズス会と托鉢修道会の間で殉教の概念、その重要性が多少異なっていた。簡単に言えば、イエズス会は殉教をそこまでに強調せずに、できるだけ日本での布教の成果を保とうとしたのに対し、托鉢修道会は殉教に力点を置き、それに向かって日本の信者の精神的な準備を行おうとした。したがって、この史料は神学的な論文でありながら、フランシスコ会の宣教活動に対するイエズス会の批判からは、日本におけるイエズス会と各托鉢修道会との間で起こった宗派論争を知ることができるという点で、史料としての歴史的な価値を持っている。この東北における論争は、日本、ローマ(バチカン)、スペインの宮廷で行われた日本での布教の権利をめぐるイエズス会と托鉢修道会との大規模な論争の一章に過ぎないが、全体像を明らかにするためには重要である。