表題番号:2021C-491
日付:2024/05/28
研究課題スリランカ発の仏跡復興運動とチベット仏教世界の交流についての研究
研究者所属(当時) | 資格 | 氏名 | |
---|---|---|---|
(代表者) | 教育・総合科学学術院 教育学部 | 教授 | 石濱 裕美子 |
(連携研究者) | 北海道大学スラブユーラシア研究センター | 助教 | 井上岳彦 |
- 研究成果概要
- 本研究は神智学協会とMaha Bodhi Societyの機関誌や、ロシア語文書資料などを用いてロシア・インド双方の視点から仏跡復興運動は東南アジア・東アジアの仏教徒の他に、従来注目されていなかったシベリアの仏教徒にまで及んでいたのではないかという仮説を、とくに1900年に行われたイロルトゥエフ(ブリヤート仏教界の長)のインド行に着目して探求したものである。諸資料を考察した結果、イロルトゥエフは伝統的なチベット仏教世界を通じてではなく、ニコライ二世の側近の一人ウフトンスキー公やシルバン・レヴィなどのヨーロッパのオリエンタリストが形成したイメージを通じて、インド巡礼やダライ・ラマとの対面をのぞむようになったことが明らかになった。とくにウフトンスキー公の役割は重要であり、公は異教を管理する役所につとめていたことから初期よりシベリアのチベット仏教たちとフィールドで接しており、1890年にニコライ皇太子が世界旅行をした際には記録係として随行し、その過程でインドの仏跡復興運動に接し、神智学協会の創立者であるオルコット大佐とも面識を得ていた。つまりウフトンスキーが、ペテルスブルグのオリエンタリスト、シベリアの仏教徒、ヨーロッパのオリエンタリスト、インドの仏跡復興運動、シャムの舎利分骨などをつなぐキーパーソンであった。このほかにもイロルトゥエフのインド巡礼はブリヤート民族のナショナリズムの萌芽と認識できうる行動があったことが判明した。