表題番号:2021C-348 日付:2022/04/10
研究課題説一切有部において「一切法非我」の解釈が「一切法無我」へと傾倒した理由の考察
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 高等学院 教諭 飛田 康裕
研究成果概要
釈尊の説いた「三法印」と呼ばれる根本的教義の一つに“sarvadharmā anātmānaḥ”という命題がある。しかし、この命題には、古来、二種の解釈のあることが知られている。すなわち、「一切法非我」(あらゆる事物は個人原理でない)という解釈と「一切法無我」(あらゆる事物の中には個人原理がない)という解釈である。さらに、この歴史的変遷については、当初は「非我」と解釈されていたものが、時を経て、「無我」と解釈されるようになったことが先学により明らかにされている。ところが、この解釈は、アビダルマの段階に到るや、明らかに「一切法無我」の方へと傾倒していく。本研究では、この理由を論究すべく、『識身足論』「補特伽羅蘊」を分析した。この結果として見えてくる「無我」説への傾倒の理由は、第一には、外部ではなく、仏教内部に個人原理を確立しようとする動きが生じ始めたこと、そして、第二に、その個人原理の規定が非常に漠然としたものであったことである。