表題番号:2021C-257
日付:2026/04/11
研究課題1930年代日本の対福建省経済外交
| 研究者所属(当時) | 資格 | 氏名 | |
|---|---|---|---|
| (代表者) | 社会科学総合学術院 社会科学部 | 助手 | 矢野 真太郎 |
- 研究成果概要
本研究では、外務省外交史料館に所蔵された外務省記録、東京大学社会科学研究所に所蔵された海軍軍令部関係史料(島田文書)、台湾国史館に所蔵された蔣中正総統文物等を用いて、1930年代の福建省経済をめぐる日中間の外交交渉の実態を明らかにした。
陳儀は福建省政府主席就任以前から対日外交に関わる立場にあり、軍部を相手とする徹底した対日妥協政策を唱えていた。陳儀は福建省の「平和」を維持するために、「無損主権、双方互恵、範囲較小」という三条件を満たす「経済提携」を実現しようとし、台湾博覧会への視察も実施し、満鉄による安渓鉱山の調査も進めさせようとした。
経済提携をめぐる交渉が進むなか、外務省では中村豊一福州総領事が重要な役割を果たしていた。中村は福建への政治的・軍事的進出を斥け、貿易拡大による経済開発を訴えた。中村が構想した経済提携は、福建省政府を相手とし、貿易の拡大を重視し、比較的規模の小さい事業を想定するもので、陳儀の提起した三条件を満たしていた。
そして、日本と福建省との間でいくつかの経済提携は具体化した。安渓鉱山の開発には行き詰まったものの、日本側企業による福州の水道敷設契約、福建省に対する満洲国産豆粕の売り込み、福州木材の台湾向け輸出は実現している。その要因には、外務省と海軍が穏健な態度で福建省側との交渉に臨んだことがある。
ただし、台湾総督府や台湾軍は以上の成果に不満を持っており、福建省との経済提携を進めるための新機関の設立を提起した。結果として設立されたのが、福大公司である。ただ、この機関には具体的に着手すべき事業が想定されておらず、当初から行き詰まりの状態にあった。