表題番号:2016K-002 日付:2017/03/16
研究課題19世紀メキシコにおけるシエラ・ゴルダの先住民農民の反乱研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 政治経済学術院 政治経済学部 教授 山崎 眞次
研究成果概要

シエラゴルダの農民反乱発生原因の一つはアセンダド(大農園主)が山岳農民たちに対して山林の使用を制限するばかりか、利用代金を要求するようになったからである。キロスが率いる反乱が2年近く継続した原因のもう一つは、シエラゴルダ地域の有力なエリートたちが反乱を利用して、自己の利益を拡大しようとしたからである。領袖たちは時には連合し、時には反目した。要するに機を見るに敏で、己の利益を最優先に考える日和見主義者たちであった。農民再生軍と政府軍の二つのアクター間の争いに第三者である地域の領袖たちが介入したために、反乱の構図が複雑化し、地域の混迷が深まり、反乱が長期化した。農民反乱軍は状況を改善できるという期待から、寡頭勢力と一時的に同盟し、彼らを支持する社会的勢力を形成した。社会的不正義に苦しんだキロスは非合法的手段に訴え、盗賊となったが、彼の活動は徐々に社会性を帯び、最終的に大衆的運動のリーダーとなった。筆者の仮説である「政府の調停能力の低下」について触れておく。植民地時代には先住民農民はスペイン王室の臣下として家父長的な庇護を受けてきた。アセンダドが違法に先住民農民の土地を強奪した場合は、先住民政府は植民地政府にアセンダドの不正を直訴し、あるいは裁判所に訴状を提出し、アセンダドの違法性を告発した。だが、スペインから独立して樹立されたメキシコ政府は先住民を保護すべき特別な存在とは考えず、新共和国の通常の市民と見なし、彼らに付与されていた農民共同体を基盤とする自治権と経済権を奪った。クリオージョたちは果てしない権力闘争に明け暮れ、新国家体制は安定せず、農牧業と鉱業も相次ぐ戦乱で衰退した。政府がキロスの反乱で介入したことといえば、反乱者に恩赦を提案するぐらいで、農民が要求する土地所有権と労働条件の改善には真摯に取り組まなかったために「政治的極めて社会的計画」は実施されることはなかった。