研究者所属(当時) | 資格 | 氏名 | |
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(代表者) | 社会科学総合学術院 社会科学部 | 助教 | 白 春岩 |
- 研究成果概要
本研究は新聞を通して、近代日中関係史の発端である「日清修好条規」およびその周辺の歴史事件を考察することを目的とする。
[課題設定]
①日中双方の新聞は、同じ歴史事件に対しそれぞれどのように報道されたのか。
③これらの報道は、政府の政策作成にどのような影響を及ぼしたのか。
[研究対象]
「日清修好条規」締結前後の歴史事件、幕末通商交渉、条約の締結(1871年)、マリア・ルス号事件(1872年)、謁見問題(1873年)、台湾出兵(1874年)、揚武号の日本来航(1875年)に関する新聞報道を整理した。
そのうち揚武号の日本来航に関し、収集した新聞を詳しく分析したので、本概要書では、主に清国軍艦揚武号の日本来航(1875年)を事例にまとめる。
[問題提起]
揚武号の日本来航に対し、以下の二つの問題の解明を試みた。
第一に、日本側は清国軍艦の初来日に対し、どのように対応したのか。この問題に関しては、主にアジア歴史資料センターに所蔵されている一次史料及び当時の新聞報道を利用し、軍艦寄港の様子を再現した。
第二に、日本側の新聞として「大新聞」と呼ばれていた『郵便報知新聞』、『東京日日新聞』、『横浜毎日新聞』、『朝野新聞』、『東京曙新聞』等、中国側の新聞として『申報』と『万国公報』を選択し、これらの新聞では清国軍艦揚武号の日本来航をいかに報道していたのかを整理した。
[結論]
以上の二つの問題提起に対し、本考察は以下のようにまとめることができる。
第一に、揚武号は近代における清国軍艦の初来日として特別な意味を持っている。揚武号の来訪に対し、日本側は長崎県令をはじめ、外務卿、太政大臣、海軍省、神奈川縣令などが迅速に反応しうまく応対した。
第二に、中国側の新聞では揚武号の日本派遣を清国海軍の航海訓練の一環として報道した。一方で、日本側の新聞には当時の日清間に潜んだ問題を連想し、警戒感、不安感を示している報道も散見することができる。
第三に、政論新聞時代へ突入した報道方針の影響の中、日本側の揚武号来航に関する新聞報道は特筆すべきである。当時の東アジアの国際情勢、特に朝鮮問題を配慮する日本の新聞は様々な報道ぶりを呈していた。征韓論を主張する新聞社は揚武号の来航に対し、警戒感を抱き、不安を煽ぎたてる報道ぶりを示したが、征韓論に反対する新聞社は客観的に軍艦来航の動向を追っただけの報道をした。他方、自由民権論争の背景の中、揚武号来航を好例にして、政府を批判する記事も存在した。
[今後の課題]
揚武号の日本来航について、明治新政府はどのように見ていたのか。警戒感・不安感を掻き立てる報道ぶりを、日本政府はどのように受け止め、さらに海軍事業に反映していくのか。これらに関しては今後の課題に譲ることにしたい。
ほかの研究対象である歴史事件に関する分析も今後の課題にする。