表題番号:2014S-035 日付:2015/04/05
研究課題東南アジアに伝播したインド瓦の現地化に関する基礎研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 文学部 准教授 田畑 幸嗣
研究成果概要

東南アジアの「インド式瓦」、すなわちメコン下流域での「インド式瓦」は、オケオやアンコール・ボレイなどの出土例から、4〜6世紀の頃に出現すると考えられる。これに先立つ時代には、瓦の出土はメコン下流域では認められない。

 ベトナム南部では、オケオ遺跡や同時期のゴートゥーチャム遺跡からはこうした「インド式瓦」が出土しており、その形態は大谷が報告するインド出土のそれと同種のものである。またオケオ文化後半期以降からポストオケオ文化期に属するとされる、ゴータップ遺跡、ゴーチュア遺跡、ゴータイン遺跡、ベンディン遺跡、カウハン遺跡、ベンカウ遺跡、カッティエン遺跡などでは、こうしたインド式瓦から派生・変化したと思われる木葉形の瓦や、後のクメール様式を思わせる瓦当のついた軒丸瓦が出土している。

 オケオより内陸にはいったアンコール・ボレイの「インド式瓦」はその細かい年代が不明であるが、アンコール・ボレイ博物館に所蔵されている瓦(土地改編の際に出土)は比較的上層より出土しているようであり、共伴する土器群はアンコール・ボレイIII期(A.D. 300/200-600)の遺物と考えられるため、やはり6世紀前後のものと考えたほうが良いだろう。また、アンコール・ボレイよりもさらに内陸のサンボール・プレイ・クックについては、6〜8世紀頃と考えられる。

 したがって、メコン下流域のインド瓦は、今のところ、オケオ文化期からサンボール・プレイ・クックの下限、すなわち4〜8世紀のものであると考えられる。また、インド方面へのアクセスや遺跡の年代観からいっても、メコンデルタのオケオおよび関連遺跡のほうが古く、内陸へ伝播したもののほうがより新しい段階のものであるとも考えられる。

 この前提に立つと、現段階では層位学的な裏付けに欠けるものの、「インド式瓦」の東南アジアでの受容は、恐らく紀元4世紀前後にメコンデルタで開始され、初期には比較的インド亜大陸のオリジナルに忠実に作成されていったものが、内陸へとその分布域を広げるにつれ、型式変化を起こし、板状で平面形が長方形という器形を保ちながら、初期の板面に施された何条もの溝が、中央の一本への溝へと収斂していったと考えられる。また、ゴートゥーチャム遺跡などにみられる木葉形の瓦は、板状で板面に数条の溝を保っていながら、平面形のみ木葉形という形態へと変化している。