表題番号:2013B-270 日付:2014/04/10
研究課題墓室画像による鮮卑社会の研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 本庄高等学院 教諭 三﨑 良章
研究成果概要
 本研究は、発掘・調査された鮮卑族に関連する画像を網羅的に収集し、それを分析することによって、3世紀末~6世紀前半における鮮卑社会、特に鮮卑拓跋部と他の鮮卑部族、漢族、その他の民族との関係を明らかにすることを目的とした。従来、当該時代の前半は五胡十六国時代、後半は南北朝時代とされ、それぞれを限定して研究される傾向が強かったが、本研究では五胡十六国時代~北魏時代を通した鮮卑社会の変容を検討した。また個々の研究者の必要に応じて個別に利用されることの多かった鮮卑族関連画像の、現在における全貌を把握することも企図した。
具体的な作業としては、まず発掘報告書や『文物』・『考古』・『考古学報』・『内蒙古文物考古』等の学術雑誌、『内蒙古文物考古文集』・『内蒙古地区鮮卑墓葬的発現与研究』・『鮮卑考古学文化研究』等の論文集に発表された発掘簡報等を利用して、内蒙古自治区および山西省大同市付近から出土した、漢代から南北朝時代までの墓室画像を整理した。その結果、内蒙古自治区には和林格爾壁画墓、和林格爾三道営楡樹梁墓、烏審旗嘎魯図1号墓等11基、大同市付近では石家寨村司馬金龍墓、智家堡墓、馬辛庄和平二年梁抜胡墓等15基に墓室画像が存在することが確認できた。
 その上で内蒙古自治区呼和浩特市の内蒙古博物院において、和林格爾三道営楡樹梁墓の「勅勒川狩猟図」と、出土状況の不明な烏蘭察布市四子王旗出土の「鮮卑狩猟木板画」の内容を検討した。さらに内蒙古大学教授王慶憲氏と内蒙古文物考古研究所所長陳永志氏の協力のもとに、和林格爾壁画墓の墓室壁画を調査した。また大同市では文瀛路北魏壁画墓、宋紹祖墓、迎賓大道墓群、沙嶺北魏壁画墓、司馬金龍墓、雲波理路北魏墓等の位置関係を確認した。そして狩猟図等の画像の内容から、4世紀に和林格爾の盛楽等を中心に活動していた時期と398年に大同に中心を移した後の時期で、鮮卑拓跋部の社会には、他の民族との関係において大きな変化は認められないという見通しを得た。
 研究成果は2014年度に口頭で発表した後、論文にまとめる予定である。