表題番号:2013B-211 日付:2014/03/11
研究課題中間層をめぐるセーフティネットの変容と地域社会
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 人間科学学術院 教授 武田 尚子
研究成果概要
 本研究では、2013年8月、9月上旬、9月下旬の3回、広島県因島箱崎地区において、漁業者集団のセーフティネットの中核になっていた児童養護施設「湊学寮」の入寮者にインタビュー調査を実施した。
その研究成果は、2013年10月13日、第85回日本社会学会大会(慶應大学)において、「瀬戸内漁民と口承文化-尾道市因島地区における家船の生活経験と歌謡」として学会報告を行った。発表要旨は以下の通りである。

1. 瀬戸内海の家船集団の末裔
 広島県の因島(いんのしま)土生町箱崎地区(現・尾道市)は、1970年頃まで家船の生活様式を残していた漁業集落である。当時、家船の根拠地は瀬戸内に3カ所程度を残すのみで、宮本常一率いる調査班も緊急調査を実施し、独特の生活習慣を書きのこしている。
 水上生活に子どもを同伴していたため、当時でもなお未就学児童がおり、伝統的に非識字率の高い地域社会が形成されていた。因島土生町には戦前から日本の代表的な大造船所が立地していたため、第一次産業就業者の分解は戦前期に進行し、島社会の上層に位置するのは造船業経営者・就業者だった。同一町内に隣接して居住しているにも関わらず、非識字者が多かった漁民層は底辺に位置づけられていた人々である。
 家船の居住形態は1970年代に消えたが、家船の生活経験をもつ住民は現在でも当該地区に多数居住している。家船の生活様式が反映された口承文化は、いまもなお地域社会の伝統行事の際に発揮される。本報告は、漁民集団に特徴的な海の労働によって培われてきた歌謡を切り口に、かつての家船の生活経験や生活様式が、歌謡の継承にどのように反映され、伝統的な地域行事の存続に寄与しているのかについて考察する。

2. 口承文化と歌謡
 現在でもなお口承文化が顕在化する場面として、氏神神社の祭礼のクライマックスである曳舟神事を挙げることができる。家船集団の末裔たちが船を陸に曳き上げ、神社の階段を担ぎ上げる祭事で、漁民の団結力を示し、ローカル・アイデンティティを実感する機会である。重量のある船を持ち上げるため、漁民のリーダーが音頭を朗唱して、担ぎ手たちの息を合わせる。独特の「節まわし」と「ことば」を身体化した歌謡の伝承者は、絶妙な息づかいで、パフォーマンスを成功に導く。歌謡は文字に頼らず、特定の親族に口伝えで伝承されてきたものである。
 因島の箱崎地区の漁民集団にとって、口承の歌謡は集合的経験・記憶の形成と密接に関連している。非日常的な経験・記憶に該当する祭事のほか、口承の歌謡が漁民集団の一体感を盛り上げた日常的な場面として人々が語るのは、1990年代も頻繁にあった新造船を祝う宴席のことで、口承歌謡のおもしろさ・楽しさを実感する機会になっていた。
 口承歌謡の魅力は、「替え歌」の巧みさにあった。ここで歌われたのは、漁労と密接に関連する大漁節など、海の労働によって伝承されてきた歌謡である。「節」と「ことば」の一致を自家薬籠中のものにしている熟練者が、次から次へと「うた」を繰り出し、記憶量と節回しの巧みさで若年者を圧倒する。当意即妙で「ことば」を入れ替えて、機知・機転を競い合う「替え歌」の披露が始まる。即興歌のスリル感で「場」を盛り上げ、かつ労働歌を共有している一体感を醸成できるのは、「節」と「ことば」の扱いに慣れて身体化している者である。「うた」によって、場をコントロールする高度のテクニックをもつ者の多くは非識字者だった。

3. 労働と知恵の集積
家船漁民は海上で家族生活を営んでいたため、労働形態は夫婦単位で、漁民仲間との共同作業の場面は少なかった。しかし、日常の海上経験は、陸上における漁民仲間と繰り広げる「替え歌」合戦や、非日常の祭事の場面に反映された。海の労働経験で培われた知恵の集積が、口承文化の継承に寄与し、漁民仲間の連帯感を養い、生活保障を補強する独特の機能を果たしていたことを知ることができる。