表題番号:2013B-126 日付:2014/04/05
研究課題1985年メキシコ大地震後の跡地空間の公園化について
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 理工学術院 准教授 岡田 敦美
研究成果概要
東日本大震災後の日本にとって、地震による被害、とりわけ人的喪失に対する長期的な観点からの社会の取り組みが要請されている。そこで当該研究は、比較的近い過去に大都市の住民が大地震に巻き込まれ、多くの犠牲者を出した他国の経験を参照事例とするために、1985年のメキシコシティの大地震について考察した。地震のあと倒壊した建物の跡地をどのように使うようになったのか、すなわち地震という経験を記憶化し、後世へ伝えてゆくため、あるいは犠牲者への鎮魂の意思を表明するために、その空間をどのように利用することになったのか、具体的には、その場所をオープンスペースにしたり、記念碑の設置などの試みを行ったりしたのかどうかを調査した。
第一に、現地の著名な知識人らによってルポルタージュやエッセイが刊行されているため、それらを収集し、検討した。
第二に、建物が倒壊し沢山の犠牲者を出した場所や、それぞれの場所における犠牲者の数は、書籍、新聞記事などの情報によって特定することができたので、実際にそれらの現地に赴き、現在その場所がどのように使われているのかを調査した。調査の結果、多くの犠牲者を出したことで知られる場所の中には、そこが住宅であったのか、経済活動に関連する場所であったのかにかかわらず、記念碑を設置したり記念日にミサを捧げたりして、建物の倒壊現場をその後「有効利用」せずにメモリアルのためのオープンスペース、あるいは公園として残すことができた場所もあったことがわかった。しかしながら、多くの犠牲者を出した場所であっても、跡地に新しいビルが建ち、痕跡を全く留めない(記念碑なども一切見られない)ケースのほうがずっと多かった。
碑が設置されたりオープンスペースとなりえた場合については、その場所を公園化したり碑を設置することに込められた趣旨やコンセプトは何であり、どのような契機で公園化などが可能になったのか。そもそも、犠牲者はたった一人であってもかけがえがないものなのではないのか。地震の犠牲者への公的な追悼の意味を明示的に持っている公共空間の利用や記念碑の設置は、どのような場合に可能だったのだろうか。近年盛んに研究されている暴力や人権といった問題群、あるいは人命あるいは死に関する考え方や文化の問題をも射程に入れつつ、論文としてまとめる予定である。