表題番号:2013A-6453 日付:2014/04/11
研究課題ASEAN域内の留学生政策の動向と課題―シンガポール、タイ、マレーシアを中心に―
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 国際学術院 教授 黒田 一雄
研究成果概要
留学生交流に関する最も代表的な政策理念は、国際理解・異文化間理解を通じた平和の達成を目指す考え方であろう(江淵 1997)。国際的な教育活動を国際理解や平和と結ぶ考え方は、第一次世界大戦後に広がり、第二次世界大戦後、一般化した。ユネスコは、1945年に採択されたその憲章前文にあるように、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」という考え方を基として成立した国際機関であるが、この考え方は、ユネスコの推進する国際的な教育活動、国際的な教育枠組みの策定の過程でも最も基本的な指針とされてきた。ヨーロッパの地域的な国際高等教育連携の形成過程においても、その目的としてヨーロッパ市民意識の喚起と加盟国間の相互理解・信頼醸成が、重要な目標として位置づけられている。ヨーロッパにおける国際高等教育連携は、中世ヨーロッパの知的共同体への単なる回帰ではなく、近代において様々な戦争を経験したこの地域の人々が「ヨーロッパ市民という意識(concept of a People's Europe)」を築いていくためのプロセスとして認識されている(European Commission 1989)。理論的にも、新機能主義の立場から、域内の機能的な協力が進展すれば政治的にもあふれ出て(Spill over)平和の実現が達成されるという考え方(Haas 1958)や、機能的な協力の深化は、人の価値観を収斂させることを通じて地域統合と平和の達成に貢献するという多元的安全保障共同体論の立場(Deutsch 1957)が、ヨーロッパにおける地域的国際高等教育連携の理論的支柱となってきた。しかし、この考え方をASEANの留学生交流にそのまま当てはめて考えることはできない。現在のASEANを見てみると、必ずしも人々の価値観や政治システムの統合は見られないが、主権尊重や対外不可侵・紛争の平和的解決などがその国際交渉の場で繰り返し主張され合意される中で、価値観自体ではなく、枠組み内の関係性に関する規範的な部分のみでの合意と統合が実現し(これを「ASEAN Way」と呼ぶ)、域内の平和を保っているという新たな見方が、学界から提示され、新たな多元的安全保障共同体論として、広く学界に受け入れられた(Acharya 2001)。ASEANには様々な歴史的・政治的・文化的な紛争の火種が存在する。ASEANの留学生交流にも、このような平和の達成への志向性が求められる。その際、人々の価値を収斂させるという可能性のみならず、異なったシステムがモザイクの接合点を探るように、争いの平和的解決、対話の習慣、同化ではない他者理解といった基本的な原則を推進するような国際高等教育連携のあり方が望まれる。ASEANの留学生交流は、このような理念をもってこそ、この地域の平和の達成に貢献できるだろう。