表題番号:2013A-6385 日付:2014/04/30
研究課題文化遺産としての聖ロレンソ祭を通して見た地域アイデンティティの生成と継承の研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 人間科学学術院 准教授 竹中 宏子
研究成果概要
 本研究は、それまで都市祭礼として調査・研究してきたスペイン・ウエスカの聖ロレンソ祭(毎年8月9~15日に開催)を文化遺産の視点から捉え直し、遺産としての祭りを通して、現実世界を生きる人々に担われる文化を保存・継承する様相を考察することを目的としている。具体的には報告者の過去のフィールドワークが実質的に1998年で止まっていることから、それ以降のウエスカの都市空間や都市社会の変化を把握し、それが祭りにどのような変化をもたらしているかを検討した。そのために、できる限りの文字資料(祭りのプログラム、地元の新聞、地元の雑誌、教会発行の会誌、市役所所有のデータ)を収集・分析し、祭りに参加する芸能グループやレクリエーション集団の成員に現状に関する聞き取り調査を行った。また、祭り期間およびその準備期間における参与観察を通して、祭り自体の変化も考察した。
 1999年以降の聖ロレンソ祭のプログラムおよび祭りへの直接参加を通して、祭りの進行自体にそれ以前と比べて大きな変化がないとわかった。主に教会側が進行する聖ロレンソ関連のミサ、宗教行列、「オフレンダ(Ofrenda de flores y frutos)」(花や収穫物をささげる行事)には日程や場所、ならびに進行上の変更はみられなかった。また、いわゆる「伝統的」に行われている行事である、祭り開始の合図としてのロケット花火点火(Chupinazo)、パレード(Carrozas y Cabargatas)、伝統グループであるダンサンテス(Danzantes de Huesca)の踊り、旧市場での祭り(Fiesta del Mercado)、闘牛(Corrida de toros)、聖ロレンソへの別れの挨拶(Despedida al Santo)、にも同じように進行していることが見て取れた。プログラム上の変化はマイナーチェンジであり、従って毎年の参加者の間では、祭り自体に大きな変化は感じられないと予測される。
 しかし、全体的に警備が厳しくなり、行事が執行される場への入場が制限されることもしばしばであった。このような現状は、聖ロレンソ祭に積極的に参加する人々が増加し、人数を制限しなければならない状態を意味する。最も顕著な例は、ダンサンテスの踊りに集まる人の多さで、この現象は練習のときから見られた。先に述べた通り、聖ロレンソ祭の主要な行事は宗教的なものに限られていない。ここから、祭りへの関心の高まりが宗教心からではなく(あるいは、宗教心のみでなく)、ウエスカを表象するものに関心を抱いているのだとわかる。
 ウエスカという社会や都市空間の変化についてだが、1999~2011年には社会労働者党(PSOE)の下、旧市街地の再開発と郊外への拡大に積極的に取り組み、都市空間を整備したことがわかった。郊外地区で特筆すべきは、大規模な会議施設を建設し、ウエスカでも国際会議やコンクールの決勝会場、あるいはフェリア(メッセ)のような催し物が可能となったことである。この建設に伴い、会議施設のそばに4つ星のホテルが建てられ、マドリッド―ウエスカ間の鉄道の便、およびサラゴサ(ウエスカに最も近いスペイン有数の大都市)―ウエスカ間の高速道路が整備され、人の流れも加速された。このような市の計画は聖ロレンソ祭にも影響があり、それまで町の中心である種無秩序に活動を展開していたレクリエーション集団が、市の要請で郊外地区に集められ、そこで祭り期間における彼らの活動を展開するようになった。しかし2011年から市議会の第一党となった民主党(PP)の下で、聖ロレンソ祭を町の中心に戻す傾向にあり、現在、模索しながらいくつかの案を実行している。
 これらの調査結果から、1) 十数年前と比べて、聖ロレンソ祭という文化遺産への関心が高まり、ウエスカの表象として町の人々の間で重要性が増していること、2) 政治的な変化が祭りの空間的な使用に如実に現れ、聖ロレンソ祭がある意味で政治的な交渉の場ともなっている現実を見て取れた。
政治的な交渉の場である聖ロレンソ祭が、一般市民にとってどのような文化遺産であるか(すなわち、文化遺産の社会的用法)、および地域アイデンティティとの関係は、聞き取りをするインフォーマントの数を増やした上で考察すべきと考える。現在、ウエスカでのフィールドワークを継続しながら祭りのエスノグラフィを精緻なものとし、そこでの考察を論文にまとめているところである。