表題番号:2013A-6286
日付:2014/04/11
研究課題「貧困からうまれた芸術」をめぐる人類学的研究
研究者所属(当時) | 資格 | 氏名 | |
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(代表者) | 理工学術院 | 専任講師 | 内藤 順子 |
- 研究成果概要
- 1973年から15年続いたチリ軍政時代の貧困地区において、人びとの連帯は強固であった。福祉政策の見直しから失業率が高まり、男性の仕事がなくなり、女性が稼いで家庭を守るしかなくなった。貧困地区では共同鍋や作業所が組織され、それらはときに反軍政運動の拠点となる経験をしながら一定の機能を果たしつつ1990年代半ばまで続く。そうした作業所で編み出されたのが、アルピジェラである。アルピジェラとはスペイン語で麻や綿で平織りした織地を意味するが、チリでは、刺繍と端切れでつくる民芸品をさす。それは、軍政下で捕えられて行方不明になった人間をさがしている人や、拷問で死亡した家族をもつ者が、政府を批判する手だてとして、行方不明・死亡者の衣類の端切れや手に入る素材の寄せ集めて作りはじめたものである。困窮した生活で資源がないときには、糸の代わりに毛髪を使ったりもした。刺繍とパッチワークで、アンデス山脈と女性の労働姿を描くのが基本的な決まりごとであった。なかには軍人による拷問の様子や、警官隊による虐殺風景の図を描いたことで捕まって拷問を受けた女性もいた。いずれにしても反政府表明のツールとして作られ、時代が下ってからはそれを記憶しておくために続けられ、やがてチリ独特の装飾民芸品として定着し、観光客相手のみやげとして売られるほか、気持ちを込めた贈答やお礼の品としてやりとりされてきた。
そうした歴史をもつアルピジェラが、現在ではNGOの支援のもと、低所得者層の女性たちの一部によってつくられ続けられており、観光民芸品市場にアンテナショップができ、同時に、フェア・トレードの商品として販売されるようになった。本研究はこうした展開について通時・共時的な把握を目的として現地調査を行い、グローバル化する世界のもとで生きる貧困者の現在の一端を明らかにするこ試みである。
報告者はこのアルピジェラ製作に実際に参加し、その茶の間のような空間で作られたそれが、ネットに出されて世界のどこかで見られて「3Dアート」という呼び名で買われていくことを経験した。「茶の間の裁縫」と「3Dアート」とのあいだにあるギャップは、ネット空間からは見えるものではない。客観的には、チリの民芸品がフェア・トレードのネット販売という方法によって国境をこえていくというただそれだけのことだが、貧困者(の営みや、都合や、思いつきを)主体として見た場合の「貧困の国際化」(貧困空間の国境越え)という意味で、大きな出来事である。
本研究では、このような、大きな革命的出来事ではないが、「方々で営まれている些細なプロジェクト」(『連帯経済の可能性(ハーシュマン2008(1984))』より着想)としてのアルピジェラとフェア・トレードをめぐる展開の基礎と、その足がかりを十分につかむことができたと考えている。