表題番号:2013A-6157 日付:2014/04/06
研究課題上代散文作品の本文校定史の研究-田中頼庸『古事記新釈』の検討など-
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 教育・総合科学学術院 教授 松本 直樹
研究成果概要
 研究課題の副題に記した田中頼庸著『古事記新釈』(全六十九丁)のうち、第二十八丁裏から第五十丁表までの翻刻と検討を行った。本書の書誌はおおよそ以下の通りである。
  稿本一冊、縦二三・三糎、横一六・五糎。四目綴じの袋綴装冊子。表紙は表裏ともに、無地の浅葱色で原装と見られる。左上に、  本文と同筆で「古事記新釈」と墨書された題簽(縦一四・〇糎、横三・二糎)が付されている。本文は楮紙で全六十九丁。全て墨  書で、一行三十字前後、一頁十二行から十三行である。前付け・後付けに本文と同じ料紙の前遊紙一丁、後遊紙二丁がある。奥書  は無い。(『早稲田大学日本古典籍研究所年報』第5号所載の拙稿より抜粋)
 『古事記新釈』の存在は、『國學者傳記集成(續篇)』(日本文學資料研究會編、國本出版社、1935年)に田中頼庸の著作として紹介されていることによって以前から知られていたことが分かるが、私蔵の本書以外に存在を確認したことがない。本書冒頭の内題の下には、「田中頼庸未定稿」とあるが、決定稿が存在するのか、また、それが刊行されたか否かも含めてなお不明な点が多い。田中頼庸は、『校訂古事記』三冊(神宮教院、明治20(1887)年刊)の編者として知られ、『古事記』の本文校訂史上に遺した足跡は大きいが、『古事記』の内容について言及したと思しき著作は本書を除いて知られていない。本文校訂の根底にあった頼庸の『古事記』観を知るには、現在のところ本書の内容を検討する以外に方法はなく、その前提としてまずは正確に翻刻を行う必要がある。
 今回までに翻刻・検討した成果から、本書が内題通りの「未定稿」であることが分かった。『古事記』上巻冒頭部の注釈の途中、第二十四丁裏より「田中頼庸謹記」と改めて署名した後「本記の印本に熊曽国の加りたるは誤脱の本なるを」に始まる論考を記し、それを第二十八丁裏九行目で終えた後、行を空けずに、「甕栗宮新室樂詠」と題して、『古事記』下巻の清寧記に記載されたヲケ・オケ二皇子に関わる「新宮宴の詠」についての注釈が始まる。それを第三十丁裏七行目まで記し終えた後に、再び行を空けずに、「次成神、名國之常立神」以下の上巻冒頭部の注釈を第三十四丁裏八行目まで記す。そしてまた第三十四丁裏九行目より「古事記新釋附説 高屋山陵考 田中頼庸」と題して、『日本書紀』に記述されたホホデミノ尊の陵の所在地を比定する論考を第三十八丁裏五行目まで記し、またもや行を空けずに、第三十八丁裏六行目から国生み段の注釈に戻る。さらには、第四十三丁裏の最終行より「同附録」として「伊邪河宮(開化天皇の宮名なり)の章訛字の辧」なる論考を記し、第四十六丁表よりはイザナキ・イザナミ二神の神生み段の注釈に戻る。このように『古事記』上巻冒頭部の注釈の途中に、行を空けることもなく幾つかの論考が挟みこまれている。各論考の冒頭には、論題はもちろん、「田中頼庸謹記」のような署名や「附録」といった見出しが付されている場合もあり、それぞれが独立した論考であることを示している。それだけに、本書全体の構成意識は見出し難く、これが完成稿でないことを示しており、本書冒頭の内題下に「田中頼庸未定稿」とあることと一致していることが分かるのである。
 以上のように本書は全体として「未定稿」なのであるが、挟み込まれた論考には一つ一つが完結した一論文の体裁を整えているものもある。そのうち「伊邪河宮(開化天皇の宮名なり)の章訛字の辧」では、現在までに伝わっている『古事記』諸本の文字を尊重しながらも、それを妄信することの危険性について先学の諸説を引用・検討しながら説くなど、本文校訂における頼庸の立場を伺い知ることが出来た。