表題番号:2013A-6105 日付:2014/04/11
研究課題井上ひさしにおける「戦争」「戦後」「新たな戦中」表象の通時的研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 教授 高橋 敏夫
研究成果概要
井上ひさしは「笑い」を小説に芝居に、エッセイや軽妙な講演にたえまなく実現した、近代・現代文学ではまことに稀有な文学者であった。と同時に、井上ひさしは「戦争」を、戦争の暗黒をえがきつづけた、これまた稀有な文学者である。井上ひさしの作品では、「笑い」が「戦争」に刺しこまれ、逆に、「戦争」が「笑い」のただなかに姿をあらわす。独特な笑いの文学であり、また独特な戦争文学である。
本研究《井上ひさしにおける「戦争」「戦後」「新たな戦中」表象の通時的研究》(以下「井上ひさしの戦争」)は、「戦争」という視点で井上ひさしの仕事を読み直す試みである。
研究の概要をいかにまとめる。
連作がつよく意識された1980年代~2010年まで約30年間の戯曲を対象とする。1980年代、文化全体が「戦争」を遠ざけようとしたとき、庶民のインターナショナリズムまでふくむ「庶民の戦争」に焦点をあわせた『きらめく星座』、『闇に咲く花』、『花よりタンゴ』他の作品を発表。1990年代には、『マンザナ、わが町』、『父と暮らせば』、『連鎖街のひとびと』等でいっそうひろく、ふかく戦争をとらえた。2000年代にはいってからは、戦争に加担した林芙美子の自己処罰と再生をみすえる『太鼓たたいて笛ふいて』、戦後落語界の双璧のポストコロニアルかつポスト戦争的性格をほりおこし、難局にむきあう「ことばの力」をみごとに洗いだす『円生と志ん生』、東京裁判三部作の『夢の裂け目』、『夢の泪』をつぎつぎに書き上げる。三部作の最終作『夢の痂』のラストでは、「この人たちの/これから先が/しあわせかどうか(中略)/自分が主語か 主語が自分か/それがすべて」、「自分が主語か 主語が自分か/それがすべて」と、劇に登場する俳優みなの「粘って繰り返す」歌により、わたしたちに「戦争」をめぐって過去から現在、そして未来にわたり執拗に選択を迫った。そして、死の前年2009年には『ムサシ』を書き、復讐の連鎖、暴力の連鎖のばかばかしさを「笑い」を刺しこんで告発した。
これらの試みはかつての「戦争」と同時に、「戦後」および再びやってきた「新たな戦中」(グローバルな戦争時代)をつよく意識したものであった。