表題番号:2013A-6104 日付:2014/04/09
研究課題シュルレアリスム的エクリチュールにおける自己表象および自己神話化に関する研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 教授 鈴木 雅雄
研究成果概要
 テクストの書き手がテクストを通していかに自分自身に働きかけることができるか、というのがこの研究の基本的なモチーフである。シュルレアリスムにはもともとこの問題と深く関わる部分があるが、今回はこの運動とつながりを持った書き手のなかから、ゲラシム・ルカとエルネスト・ド・ジャンジャンバックという二人の非常に特徴的な詩人・作家を選んだ。
 ゲラシム・ルカについては前期の代表的な著作である『受け身の吸血鬼』を中心にしようと考えていたが、近年刊行された研究書や未刊資料を検討するうちに、この詩人に特有の、個人的なレベルの出来事と集団的・社会的なレベルの問題を不思議な形で接続させるような、しかも単純な取り違えではなく、意識的かつ戦略的にそうするようなあり方が、著作の全体にわたって見て取れると考えられるようになった。またこの過程で、ゲラシム・ルカが自らの体験を痕跡として残す際にイメージの問題が持つ重要性が浮かび上がり、近く発表予定の論文ではむしろこの側面が強調されることになるだろう。『受け身の吸血鬼』のなかで展開される「客観的に贈与されたオブジェ」は詩人による自身への働きかけの行為としてきわめて重要な実験だが、この点についてのより詳細な研究は、2014年度中に刊行予定のこのテクストの翻訳に長文の解説をつける際に、あらためて集中的に考察したい。
 一方ジャンジャンバックについては、サン=ディエ=デ=ヴォージュでの資料収集が諸般の事情により、当初考えていた8月ではなく3月にずれこんだため、作業が遅れたが、この調査によって非常に興味深い成果をえることができた。この報告の執筆時点では調査から帰って日が浅く、現地で撮影した数百枚の草稿資料を体系的に整理・検討する作業はこれからになるが、おおむね次のようなことがいえるだろう。サン=ディエには、期待していたような刊行テクストの草稿そのものは存在しなかったが、非常に多くの未刊行の自伝的テクストが所蔵されていた(ゲラの状態にまでなっていたものもある)。これらからわかるのは、ジャンジャンバックが出版予定のないときですら、常に自伝的な記述と架空の出来事の複雑に折り重なった奇妙なテクストを、何かに取りつかれたように書き続ける著者だったという事実である。それはどこか、いわゆるアール・ブリュットの作り手が、架空の自伝をテクストとイメージを織り交ぜて作り出し続けるさまを思わせもするが、明確な戦略性を伴った作業でもあるところが興味深い。シュルレアリスムのなかでは、サルバドール・ダリがこれに近い作業を行っているが、事実ジャンジャンバックはダリを非常に意識しており、ときにはダリの成功に対して嫉妬心に近いものを抱いていたことも、今回の調査でわかってきた。ここにあるのはつまり、自らの神話的なイメージを他者に発信し続け、その神話をしかし同時に真実として生きてしまう、そうした主体の極端なあり方である。
 今回の研究は総合的な結論にまでは達していないが、自らについて語りつつ、その語りがコントロールを脱してしまい、自らに対して外在的に働きかけるようになってしまう地点にとどまろうとする、こうした書き手の作業が持つ様態の一端を取り出せたと思う。テクストとイメージの併用が自己イメージへの働きかけにおいて大きな重要性を持つのかもしれないという、今回得られた視点をさらに多くの書き手に適用しつつ、シュルレアリスムにおける自己イメージという問題についての考察を引き続き展開していきたいと思う。