表題番号:2013A-6078 日付:2014/03/08
研究課題早稲田と日本近代の美術および建築
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 教授 丹尾 安典
研究成果概要
  申請研究においてめざしたことは、早稲田大学に関係する美術・建築資料を収集することである。古書市場に流れている早稲田大学にまつわる貴重な資料は多数ある。一例をあげれば、申請者がかつて発見購入した「早稲田大学図書館等建築現場写真帖」3冊がある。これは大正末年期から昭和初期の間に行われたキャンパス整備の有様を撮影した写真、すなわち現大学キャンパスの基本構造が形成される際の貴重な記録であった。こうした資料を見つけ出すには、定期的な古書市場の探索を遂行するしかない。申請者はこれまで見つけ出した資料を個人研究費で購入し、大学におさめてきたが、2013年度から個人研究費は半分に減額されたので、特定課題に応募した。しかし、2014年度からは、科研費等に応募しない者の特定課題は受け付けられないことになった。科研費等に応募しない理由はここに述べることはひかえる。これが改善されないなら、最後の報告となるが、このたびの申請で購入したいくつかの資料について説明する。それらは早稲田大学の歴史文化の発掘に寄与する大事な資料だと認識している。
 1、『早稲田大学政治経済科 卒業記念写真帖』(大正十五年三月)。このアルバムのなかには戦火で焼失した恩賜館貴賓室が撮影されており、そこに本邦最初期の欧米留学画家・川村清雄の作品がかけられていたことがわかる。川村に制作を依頼したのは初代図書館長の市島春城であったが、この作品は建物とともに焼けてしまった。しかし、早稲田と川村の縁が確認されたことにより、申請者の要請で、2013年度に川村の遺族から會津八一記念博物館に作品2点が寄託された。2014年度には、新潟の市島家に所蔵されている新発見の川村作品とこの寄託作品が同館で展示される予定である。このアルバムに収録されている写真のなかには、建築の貴重なデータもおさめられており、とりわけ今井兼次設計の旧図書館の内部の写真は竣工まもない時期の様子を伝えており、旧図書館といえば横山大観・下村観山の《明暗》図が有名であるが、まだ円形の枠だけでその作品が設置されていない状態が確認できる。
2、『Memorial Album 1930  Waseda University  Commercial Department』も卒業アルバムであるが、そこにも貴賓室の川村の絵が掲載されている。建築関係では学生ホールに設置されていたステンドグラスの様子がわかり、大学が視覚環境の整備にも鈍感ではなかった当時をよくしのぶことがでる。また大学で最初に舗装された東門と西門をむすぶ「早稲田レーン」およびその上に架橋されていた空中廊下(98年に除去された)の様子もよくとらえられている。当時の高田馬場駅舎写真もめずらしいものである。
この二点の資料は大学史資料センターへ託するつもりでいる。
3、昭和5年12月6日に早大政治経済科学生委員会が大隈講堂で開催した「映画と音楽」のポスターならびにパンフレットは、当時学生たちがどのような催しを企画し、大学を象徴するこの建物を利用していたのかを具体的に知らしめる資料である。この学生企画は、四部構成の会であって、第一部が伊藤大輔監督の松竹映画「斬人斬馬剣」の上映。第二部が歌曲独唱、第三部が舞踊、第四部は洋画上映で、ヨーエ・マイ監督の「帰郷」が映写された。従来まで知られでいなかった学生活動の記録であると同時に、大隈講堂の当時の利用のあり方を伝える大事な資料である。いずれ図書館か演劇博物館に寄贈するつもりでいる。
4、『写真特報 東京日日』(一枚刷り 昭和10年10月30日発行)。これは同年秋の早慶戦写真である。大学史資料センターに寄贈予定。
5、『早稲田学報』創刊号〜10号。これは大学図書館にも架設されている資料であるし、美術・建築関係資料でもなく、すでに、特定課題研究費を使い果たしたのちの購入資料だが、「東京専門学校」の印章がおされている基調な資料なのである。この印が押されている『早稲田学報』は、大学から市場に流出してしまったものであり、ぜひとも大学に保持されていなければならないので、図書館に現在ゆずりわたす交渉をしているところである。
 以上、主なもののみについて、報告した。歴史をしっかりと見据えることのできぬ大学に、未来が開けることはない。