表題番号:2013A-6077 日付:2014/03/21
研究課題「神の場所(コーラ)」に関する研究―現代における「神概念」構築の可能性に向けて―
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 教授 田島 照久
研究成果概要
 18世紀の啓蒙思想以来、世俗化があらゆる生活の隅々にまでいきわたり、科学的知見が共通の認識基盤となっている現在、われわれが伝統的、もしくは古典的な「有神論」と呼んでいる、超越的で不変な、全知・全能、博愛の存在者という概念を形成していた存在論的・宗教的範疇の伝統的な統一は決定的に破壊されたと言ってよいであろう。
 本研究ではこうした現代における神論の無意味、不可能性に対して、神を語ることの無意味が、まさに神論の基礎になるというコンセプトの下に新たな神論の可能性への試みとして、プラトンによって語られた「場(コーラ)」をてがかりにして、「神の場」という問題をドイツ神秘思想家マイスター・エックハルトの「始原論」および西田幾多郎の「絶対無」といった思想から新たに考察することを試みるものであるが、本年度2013年度は「神を語ることの無意味」を「絶対主体性」の問題として展開している中世の思想家マイスター・エックハルトの中心思想「離脱の教説」と西田幾多郎の「絶対無」思想の根底にある禅の「三昧思想」について比較考量を行った。
 その研究成果は2014年2月1日(土)上智大学中世思想研究所主催の筆者の講演「マイスター・エックハルトの離脱の教説と仏教の三昧思想」で公開された。
 エックハルトのドイツ語著作集の内で主題的に説かれている離脱の教説は、魂の内における神の子の誕生が生起するための魂の在り方としてまた、論述『離脱について』では恩寵の内で人を神本来の姿と同じものにすることができるような最高にして最善の徳として説かれていると同時に、同じ論述『離脱について』で、離脱が一性に立つ不動性としても説かれている。そうした離脱の教説をmedium, meritumの否定というエックハルトの恩寵論から基礎づけた上で、この不動性が知恵に基礎づけられているものであることを明らかにし、そのうえで仏教の三昧思想を採り上げ、禅宗における定慧一等という独自の三昧思想および後得智としての分別智という観点から離脱の不動性について解釈を試みたものである。