表題番号:2013A-6075 日付:2014/03/16
研究課題東国の戦国大名領国における訴訟・裁判の研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 教授 久保 健一郎
研究成果概要
 本特定課題では、東国の戦国大名領国における訴訟・裁判史料の収集・分析を行った。まず、史料の残存状況としては、北条氏が今川・武田氏と比較してかなり多いということがいえる。しかし、たとえば今川氏についてみるならば、「訴訟条目」と呼ばれる訴訟・裁判手続きの集成があり、残存史料があまり多くないからといって、訴訟・裁判そのものも少なかったとはいえないと考えられる。以下、本特定課題の研究目的に掲げた点に沿って、検討結果を述べていく。
 (1)訴訟当事者の階層はいかなるものか。これは、特に北条氏の場合、武士・寺社・百姓・職人・芸能民とたいへん広い身分・階層にわたっている。この点、戦国大名の法廷が民衆に開かれていたことの画期性を高く評価する見解もあるが、私見はやや異なる。これについては後述する。
 (2)どのような紛争が訴訟に及んでいるか。これも多岐にわたるが、貸借をめぐる問題がかなり多い点が注目される。今川氏の場合などはこれに関わって「困窮」という文言が頻出し、紛争の底流にある問題を示唆している。
 (3)訴訟手続きはどのように行われているか。今川氏の場合、前述した「訴訟条目」があり、基本的な手続きがわかるものの、具体的事例においてどのように適用されたかが明らかでない。北条氏では、従来知られている「目安」提出から評定開催、裁許朱印状による裁決という手続きがある。この「目安」が小田原本城や各地の支城の門前に設置された目安箱に投函されるようになっていたところから、(1)で見たような「民衆に開かれていた」との評価がされることになる。しかしながら、戦国大名の裁判はそうしたものばかりではない。明らかに有力者などとの人的つながりを利用した場合も多く見られる。したがって、一方的に「民衆に開かれていた」ところを高く評価するのではなく、「開かれていた」ところと、人的つながりに依存する、いわば「閉じられていた」ところの両方を併せ考える必要がある。
 (4)訴訟の論点や裁決における決め手は何か。これについては、一見バラバラで詰め切れていない。中世においてよくいわれるのは、「先例」や「道理」であるが、これにまったく則っているのか、乗り越えている、あるいは逸脱している点があるのかは、課題として残る。
 (5)(1)~(4)の問題に、地域差や大名による個性はあるか。前述したように、今川・武田氏は北条氏に比べて事例が少ないので、単純に比較できない点もあるが、今のところ、際だって異なる点は見出せない。東国の戦国大名領国における訴訟・裁判のあり方として類型化できる可能性は高い。
 以上であり、(4)については課題を残したが、東国の戦国大名領国における訴訟・裁判について理解の進展をみた。また、(2)で言及した貸借問題や「困窮」文言などからは、戦国社会の抱える経済問題を見通すことができる。このことや(3)で触れた訴訟・裁判の二様のあり方(「開かれていた」「閉じられていた」)の意味するところを掘り下げることなどを通じて、さらなる研究の展開がなしうると考える。