表題番号:2013A-6054 日付:2014/04/11
研究課題我妻栄の「憲法学」:戦前・戦後の憲法学史における位置づけおよび我妻民法学との関連の探求
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 法学学術院 特任教授 水林 彪
研究成果概要
[Ⅰ]1.本研究は、私が数年前から着手した「憲法・民法関係の歴史的考察」の一環として構想されたものであった。すなわち、わが国の民法研究史における第一人者たる我妻栄が、憲法と民法との関係をどのようなものとして考えていたのか、ということを課題とする研究である。その背景としては、我妻は民法学者であるが、20歳代におけるドイツ留学時代から晩年に至るまで、一貫して、憲法に関心を寄せ、憲法に関する著作・論文を数多くものしたという事情がある。
 2.私は、以上のような課題を究明すべく、我妻のドイツ留学時代(1920代前半)から晩年にいたる憲法関係の著作・論文を、我妻の民法学との関係を意識しつつ、精査することを試みた。以下、その概要を記す。
 [Ⅱ]1.民法学者我妻栄が憲法に学問的関心を寄せるようになった大きな切掛けは、1920年代前半期になされたドイツ留学において、ワイマール憲法(1919年)に接したことであったと思われる。同憲法は、純粋な「公法」ではなく、私人間のあり方についても規定する「私法」の基本法でもあることに特徴が存在するが、まさにそのことの故に、我妻は、必然的に憲法にも関心を寄せることになった。我妻がものした最初の憲法関係論文は、「〈紹介〉ニッパーダイ編『ドイツ国憲法に於ける基本権と基本義務』」(1932年)である。
 2.我妻が憲法について論ずるようになった第2の契機は、日本国憲法の制定(1946年)である。大日本帝国憲法から日本国憲法への転換を我妻は感激をもって受けとめ、日本国憲法制定直後から、この新憲法の精神を解明する論文を矢継ぎ早に発表することになった。これは、しかし、民法学者が専門外の憲法のことを研究しはじめた、という性質のものではなかった。日本国憲法は、ワイマール憲法の影響を強く受けて制定されたものであったこともあり、日本国憲法には私人間に適用されるべき基本的人権関連規定が存在する。財産法・家族法両分野にわたり、その根本原則は、日本国憲法において規定されることになったので、民法学者・我妻も、専門内在的に憲法について論ずることになった。
 3.日本国憲法制定直後の我妻の日本国憲法論は、古典的自由権よりもむしろ生存権的な基本的人権に着目するものであった。ワイマール憲法とそのもとでの民法・私法のあり方を探求してきた我妻にとって、そのことはごく自然のことであったと思われる。
 4.しかし、その論調は、1955年ころから大きく変化する。自然権、古典的自由権の重視という論調へと変化したのである。この転換の理由は、ひとえに、自由党の憲法調査会が、「日本国憲法改正案要綱」を発表し、その説明書において、日本国憲法の背後に存在する自然権思想ないし天賦人権思想を非難したからであった。我妻は、憲法擁護のための前線を、生存権から自由権へと引き戻さざるを得ない、と判断したものと思われる。