表題番号:2013A-6021 日付:2014/04/11
研究課題19世紀におけるメキシコ先住民農民の反乱の原因究明:「ヤキ族の反乱」の事例研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 政治経済学術院 教授 山﨑 眞次
研究成果概要
19世紀のメキシコは反乱の時代である。1821年にスペインから独立したものの、党派間の権力闘争は果てしなく続き、経済は停滞し、社会は大混乱に陥った。先住民はそのような社会や経済の混乱と権力の空白を利用して自部族の権利回復運動を展開した。先住民からの土地と自治権要求は南のユカタン半島から北のソノラ州まで全国各地に及んだ。
19世紀のメキシコにおける農民反乱の激増は、植民地時代から続くアセンダド(大農園主)による土地強奪や搾取、人口増加による土地不足、連邦政府が1865年に公布した「永代所有財産解体法」(レルド法)による土地喪失、白人と先住民間の人種対立の4つが主要因であると主張されてきた。だがそれら4要因に加え、土地所有権に関して政府、アセンダド、農民の3者間の均衡が崩れたことも紛争激増の一因であろう。安定した三角関係が歪な2極間関係へ変質したのである。これまで3者間の関係変質についてメキシコの他地域での調査研究を行ってきたが、本稿では、保守派と自由主義派による国内の権力闘争やアメリカ合衆国やフランスの侵略に苦悩する新国家メキシコにおいて、その混乱に乗じて自分たちの土地所有権や政治的自治権を要求した北部ソノラ州のヤキ族の反乱について述べるものである。
本稿は、植民地時代にアセンダドと先住民の調停役を果たしていた政府が、独立以降、アセンダドと結託したことが農民の反乱を誘発したという仮説について実証研究を行った。他地域と異なり、ヤキ地域では植民地時代に政府に代わり白人植民者からヤキを庇護したのはイエズス会であった。他地域の修道会の先住民庇護は16世紀には効力を発揮したが、17世紀以降は植民地政府の先住民平定政策と在俗教会の進出によって修道会は徐々に勢力を失った。だが、北部辺境地帯のソノラでは、植民化の遅滞と先住民の過疎によって広大で強大なアシエンダの形成が遅れ、イエズス会が活動する余地が十分にあった。植民地時代、ソノラのヤキ領域では、イエズス会が政府の代替機構として調停機能を担い、伝道村を介してスペイン人入植者と先住民の軋轢を緩和した。
独立以降はヤキ族、マヨ族、ピマ族、オパタ族が白人の土地強奪に対して断続的に反乱を起こし、部外者の侵入を食い止め、特にヤキ族は土地と自治権を維持できた。バンデラス、カヘメ、テタビアテ等の先住民指導者が率いた頑強な抵抗が、白人の侵入を阻止した点がソノラの特徴であろう。だが、これらインディオ領袖の抵抗にもかかわらず、フアレス自由主義政権の誕生とともにインディオ共有地の土地自由化政策が強化され、ディアス政権では米国の経済圏に組み込まれた資本主義的近代農業が推し進められた。連邦政府と州政府は土地の拡張を望むアセンダドの要望に応え、敵対するヤキの反乱をすべて鎮圧して、ヤキから奪った土地を国内のアセンダドや外国人投資家に付与した。またこれらの押収された土地は政府要人と軍人にも分配され、新たなアセンダドを生み出した。近代化政策によって国家の統一を進める政府と経済的発展を欲するアセンダドの利害がインディオの排除という点で一致した。アセンダドとインディオ間の土地係争に関して調停役を果たすべき政府はアセンダドに与し、ヤキに対する苛烈な戦闘をしかけたので、紛争解決の手段を失ったヤキは武装蜂起せざるを得なかった。
しかし、ソノラでは中央政府が展開する米国を視野に入れたグローバルな経済圏構想と資本主義的近代農業に賛同できないマイトレナのような一部のアセンダドとヤキ間の協調関係が見られた。その原因は北部乾燥地帯における労働力不足である。伝統的な集約的農業に執着するアセンダドは貴重な労働力であるヤキと敵対することは許されず、むしろ彼らの後ろ盾となり連邦・州政府のヤキ殲滅作戦に抵抗した。ヤキ地域では労働力不足という特殊な事情によって伝統的アセンダドとインディオの対立関係は成立しなかった。