表題番号:2013A-017 日付:2014/04/01
研究課題社寺参詣と中世荘園の形成の関係に関する研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 教育・総合科学学術院 准教授 高木 徳郎
研究成果概要
 本研究は、日本の中世における霊場社寺への参詣が、中世荘園制の成立とどのように関係するかという点に関しての基礎的知見を得るために行われた。一年間という限られた研究期間ではあったが、熊野三山および高野山という、中世の二大霊場への参詣行為の隆盛が、地域社会におけるどのような貢献によって支えられていたのか、また参詣のための物資や人の調達は、地域社会において具体的にどのように行われていたのかという点を明らかにすることにより、地域社会における荘園制形成・展開への胎動の一端を汲み上げることができた。もちろん、その成果はまだ十分とは言えないが、今後の継続的に研究を推進していくための足掛かりは得られたと思う。
 まずは、熊野三山への参詣(いわゆる熊野詣)については、この成果の一端を単著『歴史の旅 熊野古道を歩く』に盛り込むことができた。この著書は、京都から熊野三山に至る参詣ルートを実地に踏査し、現地の視点から熊野詣そのものを捉え直そうとした著作である。前半部分において熊野詣の歴史を概観する中で、熊野詣における物資調達の実例を文献資料に基づいて検討し、あわせてその調達ルートを現地の道路状況に即して考察した。その結果、平安時代の熊野詣が、熊野参詣道の沿道にある荘園だけでなく、参詣に随従した上皇近臣の所領荘園から調達され、しかもそうした調達は、荘園制が本格的に成立する白河院政期以前から行われていたことが明らかとなり、莫大な費用の調達を前提とする熊野詣が、荘園制の成立と連動する形で行われていった可能性があることが分かってきた。
 一方、高野山への参詣では、高野参詣の拠点的な宿場町として近世に大きく発展する橋本地域において、在地住民の信仰関係史料を多く伝える西光寺文書(柏原区有文書)の調査を行った。この文書群に関しては、既に『和歌山県史』・『橋本市史』に中世文書は紹介されているが、近世文書を含めて全体像はいまだ詳細に調査されておらず、その意味で在地における信仰活動と、高野参詣がどのような形で結びついているかという問題を考察していく必要がある。本研究では、その基礎的資料を得るため、現地に伝来している中世・近世文書の撮影を行い、地元の所有者に対し、今後の継続的な調査研究の方針について説明し、その理解を得た。調査・研究は、本研究とは別の形で、継続していくこととなった。