表題番号:2013A-015 日付:2014/03/27
研究課題中世フランスにおける城の形成・発展とその歴史的意義
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 教育・総合科学学術院 教授 堀越 宏一
研究成果概要
 10世紀後半のフランス北部に初めて出現したヨーロッパの城のうち、その多くは木造の城(motte and bailey castle)という形でヨーロッパ全域に広がり、多数建設されたが、同時に、既に10世紀末に、フランス・ロワール地方では、石造の城も出現していた。本研究では、この最初期から1200年前後の時期の石造の城の天守塔の形状の発展に注目した。
 木造の城でも石造の城でも、その中心は天守塔にあったため、城を建設する際の工夫はそこに集中されている。誕生期である11世紀初頭前後の石造天守塔は、古代ローマ建築のバシリカ様式の大型公共建築物を上に伸ばして高層化した形を取っていたのに対して、その後、13世紀初めまでの200年間の間に、天守塔の平面図は、投擲物に対する防御性能を高めるために、長方形→正方形→多角形→楕円形→円形へと変化していった。居住性よりも軍事機能を優先した点に、当時の時代状況がよく表れている。
 そのような進化が進行した中心的地方は、ロワール地方に加えて、同じくフランスのノルマンディー地方とイル・ド・フランス地方であり、2014年3月に、これらの地方に残されている天守塔の総合的な現地調査を行い、その状況を非常に具体的に把握することが出来た。その対象は、まず、ノルマンディー公ギヨーム2世(位1035~1087年。1066年からは、イングランド国王ウィリアム1世)からその三男アンリ1世(位1100~1135年)の時期に建設された長方形天守塔であり、Arques-la-Bataille, Falaise, Ivry-la-Bataille に残るその実例を確認した。
 このような、いわば古代風の長方形天守塔が円形に変貌する過程では、さまざまなヴァリエーションが生み出された。そのうち、Gisors(八角形)、Houdan(四つの円形からなる四角形)、Conches-en-OucheとChâteau-Gaillard(複合形)を調査した。その多くは、ノルマンディー公とその後に続くプランタジネット朝イングランド国王とフランス国王、ないし彼らの家臣である地方豪族によって建設されたものである。12世紀後半の英仏抗争が、城砦建築の発展に与えた影響の決定的な大きさを実感せざるを得ない。
 1200年前後にフランス国王フィリップ2世(位1180~1223年)によって組織的に採用された円形天守塔は、「フィリップ型天守塔 la tour philippienne」と呼ばれ、中世の石造天守塔の完成形として位置づけられている。これについては、Rouen, Lillebonne, Falaise, Verneuil-sur-Avre, Vernon の5ヶ所で現存する実例を確認することが出来たが、これは非常に大きな収穫だった。特に、Verneuil-sur-Avre の天守塔では、螺旋状に上昇する足場のための穴が残されていて、建設当時の建築技術の実態を知ることが出来た。
 それ以外にも、Bretteville-du-Grand-Caux と Crévecoeur-en-Auge では、木造の城(motte and bailey castle)の形と、その後、それが領主館 manoir に変貌した形を知ることが出来た。
本研究を通じて、このような中世ヨーロッパの城の歴史的理解の中心に位置づけられる、天守塔の形成とその中世的完成に至る過程を具体的な事例に即して、歴史考古学的に確認することが出来た。加えて、現地での文献収集の点でも、大きな成果があった。