表題番号:2012B-292 日付:2013/04/12
研究課題鮮卑慕容部の形成と拓跋部との関係
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 本庄高等学院 教諭 三﨑 良章
研究成果概要
 五胡十六国時代に前燕・後燕・西燕・南燕の諸国を建国し、また北燕政権の中枢を担うなど、華北社会にきわめて大きな影響を与えた鮮卑慕容部は、その西方において、鮮卑拓跋部と複雑は関係をもち、それが慕容部に対する圧力となっていたことは文献史料から窺うことができる。その具体的な状況の解明の可能性が、近年の遼寧省や内蒙古自治区における鮮卑関係遺跡の発掘・調査の進展によって大きく広がってきた。本研究では、内蒙古自治区で発見された考古資料を用いて、慕容部形成の状況および慕容部と拓跋部とのさまざまな段階における関係を明らかにすることを試みた。
 具体的な作業としては、まず『文物』・『考古』・『内蒙古文物考古』・『北方文物』等の学術雑誌や『内蒙古地区鮮卑墓葬的発現与研究』・『鮮卑考古学文化研究』等の論文集に発表された発掘簡報等を利用して、内蒙古自治区で発掘された1~5世紀の鮮卑に関連する墳墓、出土文物のデータベースを構築した。その上で、呼和浩特市の内蒙古自治区博物院・盛楽博物館において鮮卑関連文物の実見調査を行なった。特に内蒙古博物院所蔵の「勅勒川狩猟図」・「鮮卑狩猟木板画」、盛楽博物館所蔵の「鶏鳴驛壁画墓」の画像を実見できたことは大きな成果である。とくに「鮮卑狩猟木版画」はこれまで報告されていなかったものである。これらの画像と遼寧省朝陽市の5基の前燕・北燕時期の壁画墓の画像を比較検討する場を得ることができたが、その結果、慕容部と拓跋部の間に、農耕の位置と漢族との交渉の濃淡の差を認めることができた。
ただ本研究では当初計画していた呼和浩特市新城区大学路北魏墓・同市托克托県皮条溝墓群、同市和林格爾県西溝子墓群の調査が、研究費と日程の関係で実現できなかった。また本研究を遂行する過程で山西省で発掘された鮮卑関係遺跡の調査の必要性も認識するに到った。本研究の成果を踏まえ、2013年度以降にそれらの調査・研究を実施し、最終的な結論を得ることを目指したい。