表題番号:2012B-220 日付:2013/05/15
研究課題太極拳動作の解析およびその運動メカニズムの大脳生理学的解明
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 人間科学学術院 教授 鈴木 秀次
研究成果概要
太極拳は1644年前後に中国で生まれた拳法と呼吸法を統合した格闘技として編み出された(李天驥,1992)。 その熟練者は身体バランスや筋力の維持・向上のみでなく、高次認知機能においても優れていることが近年明らかになってきた。身体機能と認知機能の両方に効果があることは、従来のリハビリテーション法やスポーツとは異なる太極拳の大きな特徴であり、今後、高齢者や認知症患者の機能回復や運動機能維持・向上への応用が期待できる。しかし、太極拳の動作そのものに関しては経験的な表現が多く、運動制御とバイオメカニクスの見地から詳細に解明した研究は殆どない。よって、本研究は太極拳、特に震脚が含まれる伝統陳式太極拳の動作を検証すること。また太極拳熟練者の神経系の調節機構、特に認知機能への効果についても脳波解析から検討した。
太極拳動作は金剛搗碓における震脚動作、すなわちヒトが立った状態から左足に体重を移動し、反対側の右脚を持ち上げ、その姿勢から一気に右脚を床面に向かって伸展した時の地面反力を調べた。被験者は健常男性15名とし、8名が陳式太極拳熟練者(1名の達人を含む)、残り7名が初心者であった。結果、右脚震脚時の最大地面反力は熟練者群が初心者群と比べて有意に大であった。特に達人は10.7 kNで、自体重の15.5倍を記録した。軸足(左)地面反力における圧力中心の移動距離は、熟練者群が有意に短かった。キネマティクスでは、軸(左)脚に注目すると初心者は右脚の動きに同調するかのように膝が幾分伸展し、身体重心が鉛直方向に熟練者よりも有意に上昇した。右脚の最上段から床面衝撃に至るまでに注目すると、その間の各セグメントの重心移動時間は初心者群で有意に長かった。さらに、初心者群では接地後も動きが収まらず、身体重心の沈み込みが有意に大であった。ところが、熟練者群では右足接地後の身体重心の沈み込みの距離、胴体の鉛直加速度が両方とも有意に小であった。興味ある動きは熟練者、特に達人は右足接地までの間に骨盤の多角的な回旋運動が、右膝伸展の前に見られた。筋活動は最初に左外側広筋、次に左大腿直筋、左脊柱起立筋、そして右脊柱起立筋、左外側広筋、左大腿直筋の順に、右足接地前に現れた。このような筋活動に沿った運動エネルギーの流れが、短時間に円滑に左下肢から右下肢へと移ったことが明らかとなり、達人が体重の15倍もの衝撃力を生み出した理由が垣間見えた。
次に、なぜ太極拳達人が人並み外れた技を発揮できるのか、長年の太極拳修練者の脳波を太極拳未実践者と比較、検討した。被験者は太極拳未経験の健常成人男性6名と、太極拳を実践している健常成人男性3名(太極拳経験年数:22.3±10.0年)であった。結果、太極拳を長期に渡って実践することで、特異な刺激に対する応答性の向上、および反応・対処すべき事象に対する記憶判断処理の向上が示唆される結果が得られた。